ベルン旧市街

Old City of Berne

  • スイス
  • 登録年:1983年
  • 登録基準:文化遺産(iii)
  • 資産面積:84.684ha
世界遺産「ベルン旧市街」、アーレ川に抱かれたベルン旧市街
世界遺産「ベルン旧市街」、アーレ川に抱かれたベルン旧市街
世界遺産「ベルン旧市街」、橋はウンタートーア橋、左の尖塔はニデッグ教会、右の建物はフェルゼン城砦
世界遺産「ベルン旧市街」、橋はウンタートーア橋、左の尖塔はニデッグ教会、右の建物はフェルゼン城砦
世界遺産「ベルン旧市街」、冬の街並み。大きな尖塔はベルン大聖堂、左の尖塔はニデッグ教会、右奥はブンデスハウス
世界遺産「ベルン旧市街」、冬の街並み。大きな尖塔はベルン大聖堂、左の尖塔はニデッグ教会、右奥はブンデスハウス
世界遺産「ベルン旧市街」、クラム通りと時計塔
世界遺産「ベルン旧市街」、クラム通りと時計塔。ビルの1階が大きく開いているが、中がアーケードになっていて通り抜けることができる
世界遺産「ベルン旧市街」、ドームと鐘楼を持つ中央の建物がブンデスハウスの中央棟、手前が東棟で奥が西棟
世界遺産「ベルン旧市街」、ドームと鐘楼を持つ中央の建物がブンデスハウスの中央棟、手前が東棟で奥が西棟
世界遺産「ベルン旧市街」、ラートハウス広場。左が聖ペトロ=パウロ教会、中央がラートハウス、手前右はフェナー噴水
世界遺産「ベルン旧市街」、ラートハウス広場。左が聖ペトロ=パウロ教会、中央がラートハウス、手前右はフェナー噴水 (C) Daniel Schwen
世界遺産「ベルン旧市街」、壮大なスパイアを持つベルン大聖堂
世界遺産「ベルン旧市街」、壮大なスパイアを持つベルン大聖堂
1638年に描かれたベルンの地図
1638年に描かれたベルンの地図。ほぼ中央が時計塔、左上の星形要塞が大シャンツェ、左下が小シャンツェ、右の橋はウンタートーア橋

■世界遺産概要

アルプス山脈の西端をなすスイス・アルプスとジュラ山脈に抱かれ、アーレ川が「Ω」形に湾曲するその内側の丘陵地帯に築かれたスイスの首都ベルンの旧市街。12世紀の創設以来の都市構造を引き継ぎつつ、19世紀まで発達を続けてロマネスク・ゴシック・ルネサンス・バロックといった種々の様式が混在する美しい街並みが築かれた。

○資産の歴史

12世紀、スイスの地は神聖ローマ帝国の支配下にあり、ドイツ、イタリア、ブルゴーニュを結ぶ要衝となっていた。11世紀に成立したスイスの有力貴族ツェーリンゲン家は帝国から公爵位を得てスイスの最大勢力に成り上がった。1186年にツェーリンゲン公を継いだベルトルド5世は、この頃まだスイス中部に勢力を誇っていたブルゴーニュの影響力を排除し、拠点に城を築いて町を建設した。そのひとつがベルンだ。ベルンは三方をアーレ川に囲まれた丘陵半島で、半島の東端には12世紀後半にベルトルド4世が築いたニデッグ城と小さな集落があった。

1191年、ベルトルド5世はこの半島の西に城壁を巡らせ、城壁と川に囲まれた堅固な城郭都市を建設した。1218~20年に西壁の門塔として建てられたのが時計塔(ツィットグロッゲ)だ。そしてベルトルド5世は町の近くでクマ(ベール)と出くわしたことからこの町をベルンと命名したという。以来、クマはベルンの象徴となり、町の紋章にも描かれている。1218年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によってベルンは帝国自由都市(諸侯や大司教・司教の支配を受けず神聖ローマ帝国の下で一定の自治を認められた都市)に指定された。

1255~60年頃、ベルトルド5世の城壁の西280mほどにケーフィヒ塔(牢獄塔)と第2の城壁が、1345年前後にはさらに西250mほどにクリストフフェル塔と第3の城壁が築かれた。三重の城壁が整備される過程でニデッグ城は取り壊され、その場所にニデッグ教会が建設された。1405年にベルンを大火が襲い、当時ほとんど木造だったベルンの町は焼き尽くされた。これを受けて街並みは石造りで再建され、1階部分を隣の建物とアーチ付きの廊下で結ぶアーケードが設けられた。

1353年、ベルンはスイスの盟約者団に参加して神聖ローマ帝国・オーストリア公国のハプスブルク家やブルゴーニュ公国といった大国に対抗。相次ぐ戦いに勝利したスイス同盟軍は1499年にハプスブルク家からの独立を勝ち取った。1515年にフランスとのマリニャーノの戦いで敗れるが、ここで武装中立と侵略戦争の放棄を宣言した。ベルンは同盟で主導的な役割を果たし、東のアールガウや西のヴォーといった町を領域に加えてアルプス最大の都市国家となった。

ドイツが大混乱に陥った三十年戦争(1618~48年)の間に、西の城壁の外にふたつの星形要塞、大シャンツェと小シャンツェが築かれた。三十年戦争の講和条約である1648年のウェストファリア条約においてスイスは正式に神聖ローマ帝国からの独立が確認された。この後、ベルンの町は大小シャンツェの西やアーレ川の東にまで拡大したが、旧市街は戦火に遭うこともなく中世の街並みが保たれた。スイスは1815年のウィーン会議で独立と永世中立を承認され、1848年にスイス連邦が成立するとベルンが首都に選ばれた。連邦議会の議事堂として1894~1902年に建設されたのがブンデスハウス(連邦院)だ。1864年、ベルンは市域を広げるために城壁とクリストフフェル塔の撤去を決定し、翌年実行された。

○資産の内容

世界遺産の資産としては、ベルン駅の東に広がる半島状の旧市街が地域で登録されている。

ベルン旧市街の代表的な宗教建築として、まずランドマークとなっているベルン大聖堂が挙げられる。「ベルン・ミュンスター」と呼ばれるゴシック様式でバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・三廊式(身廊の上下に側廊を設けた様式)の教会堂で、全長84.2m・幅33.7mを誇り、建設開始は1421年ながら16世紀後半にようやく竣工を迎えた。西ファサードの中央に組み込まれたスパイア(ゴシック様式の尖塔)は1893年の完成で、高さ100.6mとスイスでもっとも高い鐘楼となっている。大聖堂にはすぐれた芸術作品が数多く、西ファサードのポータル(玄関)を飾る「最後の審判」をはじめとする彫刻群はドイツの彫刻家エアハルト・キュングによるもので、後期ゴシック彫刻の最高傑作のひとつとされる。内装ではステンドグラスがスイス随一と評されており、ペスト禍を描いた『死の舞踏』を筆頭に、イエスや聖母マリア、使徒や天使、聖書の場面や聖人の物語を極彩色で描き出している。これ以外にも、網状ヴォールト(ネット・ヴォールト)天井などの構造や、クワイヤ(内陣の一部で聖職者や聖歌隊のためのスペース)のルネサンス様式の彫刻群、オルガンなど見所は数多い。ニデッグ教会はニデッグ城の跡地に1341~46年に築かれたゴシック様式でバシリカ式・単廊式の教会堂で、鐘楼は1480~83年に増設された。扉などに掲げられた16枚のブロンズ・レリーフは1956年にスイスの彫刻家マルセル・ペリンチョーリによって制作されたもので、イエスの生涯を描き出している。ハイリヒガイスト教会(聖霊教会)はもともと13世紀に創設された修道院の修道院教会だったが、16世紀に廃院となってプロテスタントの改革派教会となり、1726~29年に現在見られるバロック様式の壮大なバシリカ式・三廊式教会堂に建て替えられた。聖ペトロ=パウロ教会は1858~64年に建設されたゴシック・リバイバル様式でラテン十字形・三廊式の教会堂で、特徴的な外観で知られる。

ベルン旧市街の代表的な公共建築として、時計塔が挙げられる。初代の時計塔は1218~20年に建設されたが、1405年の大火で焼失した後、ゴシック様式で再建され、1530年頃に天文時計が加えられた。1770~71年にバロック様式の外観を加え、その後さらに改装されたが、現在の外観は1770年当時の姿に戻されている。高さ54.5mで、東西に巨大な時計を備えており、東ファサードにはさらに太陽や月・惑星の位置を示す天文時計とカリヨン(鐘を組み合わせた楽器)、スパイアの下には鐘と鐘をならすジャックマート像が収められている。その西280mほどに立つケーフィヒ塔も東西に時計を備えた高さ49mの塔で、1256年に建設された初代の塔が1641~44年にバロック様式で建て替えられた。

ネオ・ルネサンス様式のブンデスハウスはしばしば連邦院と訳される建造物群で、ハンス・ヴィルヘルム・アウアーの設計で1852~1902年に建設された。「コ」形の西棟・東棟、正方形に近い中央棟の3棟からなり、全長300mの全体が左右対称でデザインされている。政府であるスイス連邦内閣(連邦参事会)と、連邦議会の2院である国民議会と全州議会が入っており、スイスの行政と立法の中枢となっている。ラートハウスはベルン市庁舎で、1406~15年にゴシック様式で建設され、19世紀にゴシック・リバイバル様式で改修された。大きな階段とロッジア(柱廊装飾)が特徴的な外観を生み出している。正面のラートハウス広場のフェナー噴水は1542年に築かれたもので、スイス軍の象徴であるフェナー像を掲げた歴史的価値の高いものとなっている。

ウンタートーア橋は13世紀に築かれた木造橋を1460~87年に石造で再建したもので、全長52.5mを誇るベルン最古の石橋だ。橋を渡ったアーレ川の外側に立っているのがフェルゼン城砦(フェルゼンブルク)で、初代の建物は13世紀に橋と同時期に建設され、17~18世紀に現在の形に改装された。かつてのニデッグ城の防衛システムのひとつで、川の外から睨みを利かせていた。長らくウンタートーア橋がベルンにおいてアーレ川に架かる唯一の橋だったが、1840~44年にすぐ南にニデッグ橋が建設された。全長190mの石造アーチ橋で、すぐに市の主力橋となった。1857年にニデッグ橋の外に建てられたクマの飼育施設がベーレングラーベン(クマ堀/クマ公園)だ。1513年からクマを飼育していたベーレンプラッツ(クマプラザ)が移転してオープンしたもので、現在でもベレンの象徴であるヒグマが飼育されている。

ベルンの街並みを際立たせているのがアーケードと噴水だ。アーケードは道路沿いの建物の1階をアーチ付きの廊下で接続したもので、1405年の大火後に整備された。市内のアーケードは総延長6kmに及ぶといわれ、ヨーロッパ最長のアーケード街とされる。また、市内には100を超える噴水があり、旧約聖書の預言者モーゼや怪力のサムソンらの像を掲げたモーゼ噴水やサムソン噴水、ベルトルド5世がクマとして描かれているツェーリンゲン噴水、子供を食べる鬼の彫刻が見下ろすキンドリフレッツェル噴水など、16世紀ルネサンス様式の彫刻で飾られた噴水がよく知られている。

■構成資産

○ベルン旧市街

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ベルン旧市街は中世の都市構造を保持しながらも、現代の首都として複雑化する機能に対応して進化した都市の好例である。

■完全性

資産はよく保存された橋の数々や巨大な公共施設をはじめ、12~14世紀にかけての都市の開発段階における建造物や19世紀の完成段階における建造物など、すべての重要な歴史的建造物を含んでいる。その結果、顕著な普遍的価値を表す重要な要素が網羅されている。

■真正性

20世紀はじめの数十年間、旧市街の保護は特に建物の外観(ファサードや屋根)に注力してきたが、時代を代表する歴史的建造物の多くは本来の内部構造を保持しており、全体的に中世のプランはほぼ手付かずで伝えられている。旧市街の建物の保存状態は良好であり、その中でダイナミックかつ現代的な都市活動が行われている。

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