オリンピアの考古遺跡

Archaeological Site of Olympia

  • ギリシア
  • 登録年:1989年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi)
  • 資産面積:105.6ha
  • バッファー・ゾーン:1,458.18ha
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、フィリペイオン
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、フィリペイオン
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、パライストラの列柱
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、パライストラの列柱
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、ゼウス神殿跡
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、ゼウス神殿跡
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、スタディオン
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、スタディオン
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、フェイディアスの工房
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、フェイディアスの工房
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、ヘラ神殿で行われたオリンピックの採火式の様子
世界遺産「オリンピアの考古遺跡」、ヘラ神殿で行われたオリンピックの採火式の様子

■世界遺産概要

紀元前776年、あるいはそれ以前から393年まで1,000年以上にわたって開催された古代オリンピック=オリュンピア大祭。最高神ゼウスに捧げられたオリンピアのアルティス(聖域)はオリュンピア大祭の舞台であり、ギリシアの諸ポリスは戦争さえ停止してスポーツで覇を競った。現在のオリンピックはこの「エケケイリアの理念」を引き継いでこその平和の祭典なのである。

○資産の歴史と内容

オリンピアはペロポネソス半島西部、アルフェイオス川とクラデオス川の合流地点の渓谷に栄えた古代都市で、紀元前4000年紀にまでさかのぼる歴史を持つ。紀元前1600~前1200年のミケーネ文明の時代にゼウスの父親である神々の王クロノスや大地の女神ガイアらの聖域となり、紀元前1000年頃にゼウス信仰に移行したようだ。オリンピアの名はゼウスらがいた聖山オリュンポスにちなんで命名されている。ギリシア神話ではクロノスを盟主とするティーターン神族の神々と、ゼウスを盟主とするオリュンポスの神々が天の支配権を巡って10年にわたる大戦争=ティタノマキアを戦い、オリュンポスの神々が勝利してクロノスらはタルタロスの深淵と呼ばれる奈落に落とされて終戦を迎える。

最高神ゼウスを讃える祭りが4年に1度開催されたオリュンピア大祭だ。最初のオリュンピア大祭は半神半人の英雄ヘラクレスが最高神ゼウスのために神殿を築いて競技会を開いたとする伝説や、超人アキレウス(アキレス)が親友パトロクロスを弔ってスポーツ大会を催したという伝説をはじめ、数々の神話が伝わっている。

人間によるオリュンピア大祭は紀元前8世紀に開始される。こちらも伝説だが、この頃、伝染病の流行に頭を抱えていたエリス王イフィトスは聖地デルフィ(世界遺産)を訪れて太陽神アポロンに伺いを立てた。アポロンの神託は、「戦を止め、オリンピアで競技会を開催せよ」というもの。イフィトスはスパルタ王リグルゴスやピサ王クレオステネスらと会談を行って大祭の開催を決め、期間中はすべての戦を中止し武器をとることも禁ずるというエケケイリアの理念を定め、これをイフィトスの円盤に刻んで布告した。大祭前にはオリーブの葉でできた冠をかぶったスポンドフォロイと呼ばれる平和の使者がこの円盤を持って諸ポリスを回り、開催を知らせたという。オリンピアで開催された記録に残る最初の大祭は紀元前776年で、この大会を第1回とすることが多い。

オリュンピア大祭はゼウスに捧げる神事であり、何よりも優先された。紀元前480年にアケメネス朝ペルシアの皇帝クセルクセス1世が50万ともいわれる大軍を率いて襲来したが、大祭参加中のポリスは派兵せず、スパルタのレオニダス率いるギリシア連合軍はわずか数千~1万程度にすぎなかったという(テルモピレーの戦い)。

大祭が行われたアルティスと呼ばれる神々の聖域にはゼウス神殿、ヘラ神殿を中心に70もの建築物や構築物が立ち並んでいたという。最重要の建物がゼウス神殿で、紀元前470~前457年頃にエリスの建築家リボンがそれまでの神殿を改築し、平面70×30m・高さ20m以上というドーリア式(ドリス式)の巨大な神殿を建設した。ここに収められていたのが「オリンピアのゼウス像」で、古代ギリシアの旅人フィロンが記した「世界の七大景観(世界七不思議)」にも選出されている。彫刻家フェイディアスが制作した高さ13mの神像で、金と象牙でできていたという。

ゼウス神殿と並ぶ主神殿がゼウスの妻ヘラを祀ったヘラ神殿だ。紀元前590年創建とされるドーリア式神殿で、オリンピアでも最古級を誇る。当時も現在も、オリンピックの炎はヘラ神殿の東にあるヘラの祭壇において放物面鏡で太陽光線を集めて採火されている。これ以外にもアルティスにはペロポネソス半島の英雄ペロプスを祀る五角形の墓廟ペロピオン、泉の妖精ニンフを祀るニンファエウム、地母神を祀るメトロンなどの神殿がある。

オリュンピア大祭の施設としては、まず紀元前560年創建と伝わる屋外競技場スタディオンが挙げられる。全長212.54m・幅30〜34mで、短・中・長距離走や走り高跳び、五種競技、円盤投げ、やり投げなどの陸上競技が行われた。一方、ボクシングやレスリング、パンクラチオンといった競技を行った66×66mの巨大な屋内運動施設がパライストラだ。パライストラには屋内競技場であるギムナシオンが隣接していた。各競技の優勝者にはオリーブの冠が与えられ、アルティスに石像が設置され、出身のポリスでは英雄として迎えられた。

ユニークなのはフィリペイオンで、マケドニアのフィリッポス2世がアテネとテーベの同盟軍と戦って勝利した紀元前338年のカイロネイアの戦いを記念して建設したものだ。18本のイオニア式円柱の内側に9本のコリント式円柱が並ぶ直径15.25mの円形神殿トロスで、内部にはフィリッポス2世や息子アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)ら5体の石像が収められていた。マケドニアのギリシア支配を象徴するものといわれる。

これ以外にも、前門プロピュライア、評議会事務所プリタニオン、議場ブーレウテリオン、選手の宿泊施設レオニオン、祭司の宿泊施設テレコレオン、ギリシア浴場、ローマン・バス(ローマ浴場)、皇帝ネロのヴィッラ(別荘)、各種ストア(列柱廊式の建物)、各ポリスの宝庫などの遺構が残されている。

ローマ時代に入ってもオリュンピア大祭は開催されていたが、キリスト教が広がると下火になった。380年にローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教化し、392年にキリスト教以外の宗教を禁止すると、異教の祭りであるとしてオリュンピア大祭も中止が求められ、393年に開催された第293回大祭が最後となった。神殿をはじめとする建造物群は4世紀の地震で大きな被害を受けていたが、426年にテオドシウス2世が発した異教神殿破壊令によりアルティスは廃墟となった。

■構成資産

○オリンピアの考古遺跡

顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

紀元前438~前430年に彫刻家フェイディアスが制作した世界七不思議のひとつであるオリンピアのゼウス像のように多くの作品は失われてしまったが、アルティスは古代地中海世界の傑作がもっとも集中する聖域であった。現存するものとしては、ゼウス神殿のペディメントやメトープの彫刻、彫刻家プラクシテレスによる「幼いディオニュソスを抱くヘルメス」像、奉納された古代の巨大ブロンズ像といった傑作が伝えられている。これらはすべて彫刻作品であり、美術史に残る重要な史料である。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

オリンピアの建造物群の影響力はきわめて大きく、紀元前470~前457年に建てられたゼウス神殿はペロポネソス半島やイタリア半島南部、シチリア島で建設された紀元前5世紀頃の偉大なドーリア式神殿の数々のモデルとなった。また、紀元前420年頃に制作された彫刻家パイオニオスによる女神ニケ像は勝利のデザインとして継続的な影響を与え、19世紀の新古典主義様式においてさえ多大な貢献を行った。さらに、オリンピアのパライストラは広場であり、トレーニングのためのオープンスペースであると同時に、競技前の精神的・肉体的準備を行うための場所だったが、これはローマ時代の建築家ウィトルウィウスが著書『建築』の中で言及したものであることに相違なく、建築の指標とまでいえるものであり、その価値に議論の余地はない。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

オリンピアは期間と質の両面でペロポネソス半島における古代文明の卓越した証拠を伝えている。最初の人間の居住の跡は先史時代にさかのぼり、紀元前4000~前1100年にかけて渓谷で定住生活が行われていた。アルフェイオス川岸では青銅器時代の集落や墓地の跡が発見され、ヘラディック時代中期とミケーネ時代の遺跡も出土している。

ゼウスに捧げられたアルティスは紀元前10~後4世紀にかけての主要な聖域であり、オリンピアの全盛期に対応し、特に紀元前776~後393年まで開催されたオリュンピア大祭の会場として知られる。この偉大なギリシア遺跡の一部にはキリスト教徒の居住地跡も含まれており、自然災害を受けて、ビザンツ様式の教会堂の遺跡の下で偶然フェイディアスの工房が発見された。オリンピアでは7世紀を除くすべての時代に人間が居住しており、古代から現在に続く人間の営みに関する稀有な証拠を示しており、未発見の多くの史料が埋没していると考えられる。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

オリンピアは宗教・政治・社会といった複数の点で際立った価値を持つ古代ギリシア世界の偉大な聖域である。アルティスのペリボロス(中庭)にはゼウスとヘラの神殿と並んで英雄ペロプスを祀るペロピオンがあり、クロニオンの丘の麓には神々に奉献するための宝庫群が立ち並んでいる。この周囲には祭司のための施設(テレコレオン)や行政施設(プリタニオン、ブーレウテリオン)、宿泊施設(レオニオン、ホステル)、賓客のための施設(ネロのヴィッラ)などがあり、さらに外側にはスタディオンやヒッポドローム(戦車競技場)、パライストラ、ギムナシオン、浴場といったオリュンピア大祭の会場と準備・祝賀のための施設が立っていた。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

オリンピアは普遍的な重要性を持つイベントと直接かつ具体的に関連している。オリュンピア大祭は紀元前776年から定期的に祝われるようになったが、オリンピアードといわれる4年周期はギリシア世界でしばしば使用される周期システムとなった。

また、3か月間の聖なる休戦(エケケイリア)の期間に地中海に広がるギリシア世界の多くの都市から選手が集まって競い合ったオリュンピア大祭は自由で平等な人間同士による平和で純粋な競争であり、その意義は何よりもギリシアのヒューマニズムの崇高な理想を体現している。彼らの唯一の野心はオリーブの冠という象徴的な報酬であり、肉体を強化し限界を超越するために最高の努力を傾けた。

フランスのピエール・ド・クーベルタンの努力によって1896年に復活したオリンピックは平和・正義・進歩という理想が人類にとって普遍的な価値を持つことを物語っている。そしてまたこれは疑いなく世界遺産のもっとも貴重であると同時にもっとも脆弱な特徴である。

■完全性

資産は顕著な普遍的価値を伝えるために必要なすべての要素を含んでいる。オリンピアの建造物群の修復は科学的倫理と国際基準に基づく技術によって適切に行われている。2008年にはクロニオンの丘の麓を通る道路の交通量を制限し、振動・騒音・汚染物質の脅威を低減することに成功した。現在の資産への主要な脅威は火災と洪水である。

2007年、ペロポネソス半島の大部分が焼失する大火災に見舞われ、オリンピアでも聖域周辺が燃えた。ただちに組織的な修復が行われ、元の形を大きく損なうことなく短期間で自然環境が回復した。オリンピアの古代モニュメントは大きな影響を受けることなくよい状態で維持されている。

■真正性

オリンピアの聖域とその周辺は古代から現代までほとんど手付かずで保存されており、ゼウスの聖なる森・アルティスでは古代と変わらぬ木々や植物が一帯を覆っている。オリンピア博物館に展示されている古代の記念物や装飾品は形状や内容を変えるような介入を受けておらず、当時のまま保管されている。古代オリンピックで確立された公正な競争と聖なる休戦という価値観は時代を超えるものであり、つねに正しいものである。現代の訪問者はオリンピアの考古遺跡を訪れる際、オリンピアの景観が持つこうした精神性と思想の重みを感じることができる。

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