タリン歴史地区[旧市街]

Historic Centre (Old Town) of Tallinn

  • エストニア
  • 登録年:1997年、2008年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:113ha
  • バッファー・ゾーン:2,253ha
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、中央右がトームペアの丘で右の高い塔が聖母マリア教会、その左の円柱形の塔がピック・ヘルマン塔、中央のオニオン・ドームが聖アレクサンドル・ネフスキー聖堂、左の尖塔が聖オラフ教会
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、中央右がトームペアの丘で右の高い塔が聖母マリア教会、その左の円柱形の塔がピック・ヘルマン塔、中央のオニオン・ドームが聖アレクサンドル・ネフスキー聖堂、左の尖塔が聖オラフ教会
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、中央から右がトームペア城、右端がピック・ヘルマン塔、中央奥が聖アレクサンドル・ネフスキー聖堂、左の尖頭は聖オラフ教会
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、中央から右がトームペア城、右端がピック・ヘルマン塔、中央奥が聖アレクサンドル・ネフスキー聖堂、左の尖頭は聖オラフ教会
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、聖アレクサンドル・ネフスキー聖堂
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、聖アレクサンドル・ネフスキー聖堂
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、塔広場の意味を持つトルニデ・ヴェルヤクのタリン市壁。手前からクイズマエ塔、プレート塔、エッピンギ塔、グルスベケ=タグネ塔
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、塔広場の意味を持つトルニデ・ヴェルヤクのタリン市壁。手前からクイズマエ塔、プレート塔、エッピンギ塔、グルスベケ=タグネ塔
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、東エントランスとなっているヴィル門、左右は門塔
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、東エントランスとなっているヴィル門、左右は門塔
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、市庁舎広場のタリン市庁舎
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」、市庁舎広場のタリン市庁舎

■世界遺産概要

エストニアの首都タリンのトームペアの丘とその周辺に広がる歴史地区を登録した世界遺産。13~16世紀にかけてデンマーク王国とドイツ騎士団の拠点として発達し、バルト海貿易を担うハンザ同盟の交易都市として急成長を遂げ、北ヨーロッパ随一の美しい街並みが築かれた。なお、本遺産は2008年に資産とバッファー・ゾーンの拡張が承認されている。

○資産の歴史

タリンの地には10~11世紀にノルマン人、いわゆるヴァイキングの港があり、交易所が開かれていた。港を望むトームペアの丘にはこの頃から要塞が築かれていた。この町はデンマークと北方十字軍の標的となり、1219年にデンマーク王ヴァルデマール2世が占領し、教会堂を建設してトームペアの要塞を強化した。

町の開発にあたって丘の周辺の城塞地区(アッパー・タウン)と下町地区(ローワー・タウン)に分割され、下町地区への入植がはじまった。この頃、諸侯の支配を受けていないヨーロッパの諸都市は同盟を結び、都市同盟を結成していた。ドイツ北部で誕生したハンザ同盟は沿岸の都市を結び、北海・バルト海貿易を支配した。ハンザ同盟のバルト海貿易の拠点がゴットランド島のヴィスビュー(世界遺産)で、1230年頃からヴィスビューのドイツ商人がタリンに移住して新たな拠点として整備した。このとき商人たちが街の中心に築いたのが聖ニコラス教会で、まもなくドミニコ会とシトー会が入り、聖カタリナ修道院と聖ミカエル修道院を建設している。

1265年にはデンマーク王クリストファー1世の王妃マーガレット・サンビリアが市壁の建設を命じ、「マーガレット・ウォール」と呼ばれる高さ5mに及ぶ城壁が築かれた。1285年にハンザ同盟都市となり、バルト海とロシア内陸部を結ぶ交易で急成長を遂げた。これに合わせて1310年に城壁の拡張が開始され、堅固な城郭都市が完成した。

1345年にデンマーク王ヴァルデマール4世はタリンをドイツ騎士団の支部であるリヴォニア騎士団に売却。騎士団はもともと騎士修道会に所属する騎士階級の貴族で構成される宗教団体だが、ドイツ騎士団は騎士団領を持ち、国家のように機能していた(ドイツ騎士団国)。リヴォニア騎士団は要塞を増築してトームペア城を築いたが、城は礼拝堂や僧院などを備え、要塞化された修道院といった趣を呈していた。1361年、ヴァルデマール4世は領土拡張を目指してヴィスビューを侵略し、デンマークとハンザ同盟の間で第2次デンマーク=ハンザ同盟戦争が勃発。ハンザ同盟はこの戦いに勝利するが、ヴィスビューは衰退し、タリンはリガ(現在のラトビアの首都。世界遺産)とともにバルト海の交易拠点として重要性を増した。

15世紀にハンザ同盟は衰退するが、タリンの繁栄は続いた。この時代、13~15世紀にさまざまな建造物が建設された。一例がゴシック様式のタリン市庁舎で、尖塔の頂部に設置されたヴァナ・トーマス(トーマス老)像は町のシンボルとなった。市庁舎広場周辺にはブルガー邸などこの時代のタウンハウス(2~4階建ての集合住宅)が数多く残されている。ハンザ同盟ゆかりの建物としては、大ギルド会館(現・エストニア歴史博物館)をはじめとするギルドハウス(ギルド=職業別組合の家)がある。

タリンは1561年にスウェーデンに併合されてから交易都市としての重要性を失い、1710年以降はロシア帝国の版図に入った。スウェーデン時代にトームペア城は改修を受け、リンダマギなどの稜堡が増築された。また、1684年の大火でトームペアの建造物は聖母マリア教会を除いてほとんど焼失した。これを受けてロシアは18世紀に新たにバロック様式や新古典主義様式の庁舎や宮殿を建設した。この時代の代表的な建物がステンボッキ宮殿だ。郊外ではピョートル大帝(ピョートル1世)の離宮としてカドリオルグ宮殿が築かれているが、こちらは世界遺産の資産には含まれていない。

○資産の内容

世界遺産の資産には歴史地区が地域で登録されている。

主な軍事建築として、トームペア城が挙げられる。トームペアの丘は古くから要塞や城塞が築かれていた場所で、1350~60年にリヴォニア騎士団によって高さ20mの城壁とピック・ヘルマン塔が築かれた。15~16世紀にピック・ヘルマン塔は高さ45.6mまで拡張され、ピルスティッカー塔、ラントスクローネ塔が設置された。1684年の大火で修道院部分の多くが焼失して以降、州政府の庁舎がバロック様式や新古典主義様式で建設され、城内は宮殿のような華やかな姿となった。1920~22年にはリーギコグと呼ばれるネオ・バロック様式のエストニア議会議事堂が建設されている。歴史地区を取り囲む市壁は1265年に建設が開始されたマーガレット・ウォールをベースとして時代時代に増改築を受けたが、城壁と塔・城門の多くは13世紀のものを引き継いでおり、全長約2.4kmのうち1.9km、46基の城門・城壁塔のうち27基が現存している。「塔の広場」を意味するトルニデ・ヴェルヤクは塔が集中しているため命名された広場で、クイズマエ塔、プレート塔、エッピンギ塔、グルスベケ=タグネ塔、サウナ塔、クルジャラ塔、ロエヴェンツエデ塔などが見られる。城門については多くが撤去されたが、現在、ヴィル門、スーレ・ランナヴァラヴァ門、ルヒーケセ・ヤラ門、ピカ・ヤラ門塔が残されている。また、近世以降は大砲に備えて城壁から突き出した稜堡が設置され、その上に要塞が建設された。一例が北のランナマギ(スコーネ要塞)、南のハルジュマギ、南西のリンダマギで、こうした稜堡が集まってタリンは星形要塞のような形状となった。現在、歴史地区の周囲に見られる緑豊かな公園は稜堡や堀の名残だ。

主な教会建築として、まず聖ニコラス教会が挙げられる。13世紀創建のタリン最古級の教会堂で、15世紀に改修されて現在の外観がおおよそ完成した。ゴシック様式でバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・三廊式(身廊とふたつの側廊からなる様式)の教会堂で、内部には北ヨーロッパ屈指のゴシック画家バーント・ノトケや ヘルメン ローデらの見事な祭壇画が飾られている。高さ105mを誇る鐘楼はタリンのランドマークのひとつで、1515年にゴシック様式で建設され、17世紀にバロック様式で改修された。現在は美術館やホールとして使用されている。聖オラフ教会はノルウェーをはじめバルト海沿岸部の宣教に貢献したノルウェー王オーラヴ2世に捧げられた教会堂で、12~13世紀の創建と伝わっている。14~15世紀にゴシック様式で再建され、1651年には灯台も兼ねて当時バルト海でもっとも高い鐘楼が建設された。教会堂と鐘楼はたびたび火災の被害にあったが、特に1820年の火災で教会堂や鐘楼の木造部分が焼失し、多くの芸術作品や尖塔が失われた。その後、教会堂の内装はゴシック・リバイバル様式で再建され、鐘楼は高さ123.7mで復元された。ローマ・カトリックの教会堂で、タリンの塔や鐘楼としては現在でも最高を誇る。聖母マリア教会は1240年創建の教会堂で、15世紀にゴシック様式のバシリカ式・三廊式の教会堂として改築され、おおよそ現在の姿となった。1684年の大火で大きな被害を受けたが全焼を免れ、鐘楼の尖塔部分がバロック様式で再建された。19世紀まではローマ・カトリックの大聖堂だったが、現在はプロテスタントのルター派(ルーテル教会)の教会堂となっている。聖アレクサンドル・ネフスキー聖堂はロシア帝国時代の1894~1900年にロシア正教会の主教座聖堂として建設された教会堂で、ロシアの建築家ミハイル・プレオブラジェンスキーによってロシアのビザンツ様式の復興スタイルのひとつであるロシア・リバイバル様式で設計された。教会堂の中央部は正方形の平面プランにギリシア十字を埋め込んだ内接十字式(クロス・イン・スクエア式)で、正方形の四隅と中央に5つのオニオン・ドームを頂いている。ロシア・ビザンツの典型的な形で、さらに西にナルテックス(拝廊)、東にアプス(後陣)を有している。内装も非常に美しく、聖人たちのモザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)や、黄金のレリーフとイコン(聖像)で飾られたイコノスタシス(聖障)は名高い。現在はエストニア正教会の教会堂となっている。これ以外の教会建築としては、現在のローマ・カトリックの司教座聖堂で1841年に新古典主義様式とゴシック・リバイバル様式で建設された聖ペトロ=聖パウロ大聖堂や、13世紀創建のゴシック建築でファサードに階段破風とバロック様式の鐘楼を持つ聖霊教会などがある。

代表的な公共・住宅建築にはタリン市庁舎がある。市庁舎広場に位置するゴシック様式の市庁舎で、現在の建物は1371~1404年頃に築かれたバルト海沿岸最古の市庁舎とされる。平面36.8×14.5~15.2mで台形に近く、東西のファサードは小さな窓があるだけの非常にシンプルな意匠で、西には高さ64mを誇る塔を備えている。尖頭アーチが並ぶ1階のサイドはアーケード(屋根付きの柱廊)となっており、上部には城のような胸壁(凹部と凸部が並ぶ防御用の壁)が見られる。もともとは会議場や集会所として築かれた建物で、後に市庁舎となり、現在は博物館やホールとして使用されている。市庁舎広場の周囲には数多くのタウンハウスが立ち並んでいる。一例が、17世紀後半に築かれたバロック様式のホフネリ邸や、1923~24年に再建されたエゴロフ邸、15世紀初頭から営業を続ける北ヨーロッパ最古の薬局が入るラエプテークだ。代表的なギルドの施設には大ギルド会館がある。14世紀に商人が結成した商人ギルドの集会所で、シンプルなゴシック様式で建設された。当時、タリンをリードしたのはこうした商人ギルドで、領主はギルドの有力商人の中から選出された。1872年以降は証券取引所となったため、証券取引所ビルとも呼ばれ、現在は歴史博物館となっている。ムストペアデ館(ブラックヘッド館)は14世紀に創設されたブラックヘッド同胞団の拠点で、16世紀にルネサンス様式で再建された。同団は軍事組織としてタリンの防衛を担った。主要な宮殿建築にはステンボッキ宮殿がある。伯爵家のステンボッキ家が1783~92年に築いた新古典主義様式の宮殿で、トームペアの丘の断崖を美しく彩っている。

■構成資産

○タリン歴史地区[旧市街]

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

タリン歴史地区は13~16世紀のヨーロッパ北東部のハンザ同盟による植民活動の前線基地である。シトー会、ドミニコ会、ドイツ騎士団、ハンザ同盟の交流から宗教や文化の伝統が形成され、やがて北ヨーロッパ全域に影響を与えた。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

タリンの都市レイアウトと建造物群は封建的な君主国としての性格とハンザ同盟都市としての性格の両面を表現しており、特に城壁や要塞に顕著に反映されている。

■完全性

エストニアのナショナル・モニュメントであるタリン旧市街保全地域の領域に合わせ、2008年に世界遺産の資産とバッファー・ゾーンの範囲が修正された。60haから113haに拡張された資産はトームペアを中心とするアッパー・タウンと中世の城壁内のローワー・タウン、旧市街全域を取り囲む17世紀の歴史的要塞、中世の町の周りで緑豊かなエリアを形成する19世紀の構造や街並み・景観を内包している。この変更により資産の顕著な普遍的価値に寄与するすべての主要な要素が網羅され、完全性が大幅に強化された。バッファー・ゾーンについても370haから2,253haに拡大され、より完全な方法で内部の資産を保護している。ヴィイムシ半島とコプリ半島からの景色を含むように海に拡張されたバッファー・ゾーンには新たに9つの景観地区と5つの景観回廊が含まれている。今日までタリンは海と陸の双方からの特徴的なスカイライン(山々や木々などの自然や建造物が空に描く輪郭線)を維持しているが、バッファー・ゾーン外側での高層開発は懸念材料である。

■真正性

タリン歴史地区には13世紀に整備された区画や通り・広場といった中世の都市構造がよく保存されており、放射状の街路には14〜16世紀の建物が多く残されている。城壁や塔などの防衛施設も元の長さ・高さを維持しており、大部分がそのまま伝えられている。こうした建築の連続性に加え、旧市街は生活都市としての伝統的な用途を維持しており、家庭・商業・宗教はもちろん行政の中心としての機能も保たれている。歴史的な住宅のいくつかは観光や公的な用途で改装されている。

19世紀後半から20世紀初頭に築かれた劇場や学校、郊外に築かれた卓越した木造住宅なども資産の重要部分を形成している。木造住宅は最近まで住民の無関心や所有権の不明確さ、メンテナンス不足、不適切な修復や増築等で状態はよくなかった。しかし今日では状況は改善されており、その高い価値が認識されて真正性を維持するための適切な手段が講じられている。

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