ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]

Late Baroque Towns of the Val di Noto (South-Eastern Sicily)

  • イタリア
  • 登録年:2002年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iv)(v)
  • 資産面積:112.79ha
  • バッファー・ゾーン:305.8ha
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、カターニアのドゥオモ広場。右がサンタガタ大聖堂、中央のドームがサンタガタ修道院教会、左がエレファンテ噴水とエレファンティ宮殿
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、カターニアのドゥオモ広場。右がサンタガタ大聖堂、中央のドームがサンタガタ修道院教会、左がエレファンテ噴水とエレファンティ宮殿 (C) Lucarelli
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、モディカのサン・ジョルジョ大聖堂
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、モディカのサン・ジョルジョ大聖堂 (C) Ludvig14
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、ノートのドゥチェツィオ宮殿
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、ノートのドゥチェツィオ宮殿 (C) trolvag
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、ラグーザのサン・ジョルジオ大聖堂
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、ラグーザのサン・ジョルジオ大聖堂 (C) Ludvig14
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、カルタジローネ、マヨルカ焼きのタイルで彩られたサンタ・マリア・デル・モンテの階段
世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々[シチリア島南東部]」、カルタジローネ、マヨルカ焼きのタイルで彩られたサンタ・マリア・デル・モンテの階段

■世界遺産概要

17世紀のヴァル・ディ・ノート地震で壊滅的な被害を受け、バロック様式で再建されたシチリア島南東部ヴァル・ディ・ノート(ノート渓谷)の町々を登録した世界遺産。カルタジローネ、カターニア、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア、モディカ、ノート、パラッツォーロ・アクレイデ、ラグーザ、シクリの8つの町が構成資産となっている。

○資産の歴史と内容

8都市でもっとも北に位置するシチリア島東部のカターニアは少なくとも紀元前8000年紀に人の居住が確認されている古い都市で、紀元前8世紀頃にはギリシア人によって植民都市が建設され、やがてシチリア島では南50kmほどに位置するシュラクサイ(シラクサ。世界遺産)に次ぐマグナ・グラエキア(南イタリアのギリシア勢力圏)の主要都市となった。紀元前3~前2世紀にかけて共和政ローマとカルタゴの間で争われたポエニ戦争の最中、紀元前263年に共和政ローマの版図に入った。ローマ帝国以降はヴァンダル王国、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)、イスラム王朝アグラブ朝(シチリア首長国)、ノルマン人のシチリア王国、神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン朝、フランスのアンジュー朝、イベリア半島のアラゴン連合王国やスペインなどの支配を受け、種々の文化の影響を残す美しい街並みが形成された。

構成資産の他の7つの町もギリシア・ローマ以前からの歴史を誇り、カターニアやシュラクサイの衛星都市としておおよそ同様の歴史を持つ。カルタジローネとミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニアはシチリア島中東部の内陸部の平野に築かれた町で、ギリシア・ローマ時代に植民都市となった。前者はマヨルカ焼きなど陶器や貴金属などの産業、後者はミニテッロ(軍人)の名を持つ封建都市で城を中心とした軍事拠点として発達した。パラッツォーロ・アクレイデはもともと「アクレイデ」と呼ばれていたが、中世に宮殿を示す「パラッツォーロ」が加えられた。都市は9世紀にイスラム教勢力によって破壊され、その後ノルマン人によって再興されたと考えられている。さらに南西には北からラグーザ、モディカ、シクリがある。いずれも古い歴史を持つ都市で、同盟を組んでギリシアの攻撃を幾度となく跳ね返したが、やがてシュラクサイやローマの支配下に入った。それでも独自性が高く、ラグーザはアラブ、ノルマン時代にも自治を行っていた。ノートはモディカの東、シュラクサイの南西に位置する町で、やがてシュラクサイの植民都市となった。アラブから伝わった絹産業で知られる。

古くからヴァル・ディ・ノートの人々を悩ませていたのが天災だ。シチリア島はアフリカ・プレートがユーラシア・プレートの下に沈み込む接触面の上に位置するため、古くからプレートのたわみやズレが引き起こす地震や、プレートの摩擦熱が生み出したマグマによる噴火の被害を受けてきた。特にカターニアの北20kmほどには現在でも頻繁に噴火しているエトナ山(世界遺産)があり、紀元前122年の噴火や1169年の地震でカターニアは壊滅的な被害を受けている。1669年にもエトナ山で大噴火を起こり、麓の町ニコロージを壊滅させ、カターニアに到達した溶岩流がウルシーノ城を取り囲み、沿岸1kmに新しい陸地を生み出した。

そして1693年1月9日21時頃、シチリア島南東部を巨大な地震が襲う。震源はメリリ、ソルティーノ付近で、余震も含めて多くの建物が倒壊して多数の死傷者を出した。2日後の1月11日13時半頃、イタリア史上最大といわれるマグニチュード7.3の大地震が発生。震源はカターニア港沖で、カターニアでは地震と津波によって約20,000人の人口の75%以上が死亡し、停泊していたすべての船が失われたという。一連の地震で約60の自治体が深刻な被害を受け、犠牲者の総数は93,000人に達したといわれる。

震災後、多くの町がバロック様式で再建され、いまに残るシチリア・バロックの街並みが誕生した。

カターニアはカマストラ公ジュゼッペ・ランツァの指揮の下で都市レイアウトから見直され、従来の町を再興するのではなく、まったく新しい町の再建を開始。ギリシア以前の建築は基本的に放棄され、ドゥオモ広場を中心に方格設計(碁盤の目状の整然とした都市設計)の幾何学的なデザインが採用された。唯一、元のまま残されたのがウルシーノ城で、ローマ時代のフォルム(公共広場)やテルマエ(浴場)、テアトルム(ローマ劇場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)、水道橋などの遺構は残された。代表的なバロック建築としてサンタガタ大聖堂(カターニア大聖堂)、正式名称メトロポリターナ・ディ・サンタガタ大聖堂が挙げられる。11世紀創建と伝わる大聖堂で、ジョヴァンニ・バティスタ・ヴァッカリーニの設計でラテン十字形・三廊式(身廊とふたつの側廊からなる様式)の教会堂として再建され、ジローラモ・パラッツォットが主に内装を担当した。ブロンズ製の天使や使徒・聖人像で彩られたファサード(正面)や前庭、カターニアの守護聖人で3世紀に殉教したシチリアの聖アガタを祀ったサンタガタ礼拝堂の見事な彫刻やレリーフ群、主祭壇のフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)など、華麗なバロック装飾で知られる。ドームは1802年に増築されたもので、鐘楼はかつて100m近い高さがあったとされるが、再建時にはドームより小さいものとなった。隣接するサンタガタ修道院教会もヴァッカリーニの設計で、かつては修道院が存在したが廃院となっている。四角形にギリシア十字形を組み込んだ内接十字式(クロス・イン・スクエア式)の平面プランで、中央に正八角形の礼拝堂を置くユニークな平面プランとなっている。ドゥオモ広場のエレファンティ宮殿(象宮殿)は長方形のコートハウス(中庭を持つ建物)で、ジョヴァンニ・バッティスタ・ロンゴバルドの設計で建設が開始され、ヴァッカリーニやステファノ・イッタルら名だたるバロック建築家が参加した。ヴァッカリーニは宮殿の前にゾウとオベリスク(古代エジプトで神殿の前に立てられた石碑)を掲げたエレファンテ噴水(象噴水)を建設し、ドゥオモ広場をヴァル・ディ・ノートを代表するバロック空間に仕上げた。これ以外にカターニアを代表するバロック建築には、ステファノ・イッタルが設計したシチリア・バロックを代表するファサードやジュゼッペ・シウティの天井画で知られるコッレジャータ聖堂(マリア・サンティッシマ・デッレレモージナ聖堂)、東西105m・幅71mとシチリア最大の教会堂と荘厳な修道院図書館やふたつのクロイスター(中庭を取り囲む回廊。ペリスタイルが発達したもの)などで知られるサン・ニコロ・ラリーナ教会・修道院、16世紀に神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が建設した宮殿で再建後に華麗なポータル(玄関)や窓枠装飾・フラスコ画・スタッコ(化粧漆喰)などで装飾されたビスカリ宮殿などがある。

カルタジローネでは地震で城内の中世・近世の建物がほとんど失われたが、無傷で残っていた植物等を元に以前の都市レイアウトに従って再興された。代表的なバロック建築として、まずサン・ジュリアーノ大聖堂(カルタジローネ大聖堂)が挙げられる。13世紀の創建時はノルマン様式の教会堂だったが、地震後にラテン十字形・三廊式の教会堂に改められた。装飾は少ないが洗練されたバロック建築で、フランチェスコとジュゼッペのヴァッカロ兄弟による祭壇や天井の絵画や彫刻、マヨルカ焼きや大理石の床、繊細なスタッコ細工など、随所に芸術作品を散りばめている。チルコンチジオーネ・ディ・ジェズ教会(イエスの割礼教会)は16世紀創建の教会堂で、ラテン十字形・単廊式の教会堂でロマネスク様式のような重厚な造りながら、西ファサードはポータルの2本セットのコリント式の柱やスタッコ細工、壁龕に設けられた聖母や使徒らの彫像、下部が変型したペディメント(三角破風)など、随所にバロックらしさを見せる。サンタ・マリア・デル・モンテ教会の歴史は中世初期のビザンツ時代までさかのぼり、サン・ジュリアーノ大聖堂が建設されるまで町の中心的な教会堂だった。震災後にバロック様式で再建され、13世紀はじめに制作された至宝「コナドミニのマドンナ」と呼ばれる陶器パネルの聖母子像や、ヴァッカロ兄弟のフレスコ画などが収められた。この教会堂から下る全長約130m・高低差約45m・142段の階段はサンタ・マリア・デル・モンテの階段と呼ばれ、階段の垂直面がマヨルカ焼きや伝統的な陶器の色鮮やかなプレートで覆われている。1606年に築かれたもので、7月25日頃に祝われる守護聖人・聖ジャコモの祭日には階段全体がキャンドルで彩られる。これら以外の代表的なバロック建築には、縦長で曲面を描くファサードが特徴的なサン・ドメニコ教会、ブルボン家が築いた刑務所で地震後に城塞のような堅牢な造りで再建され1914年に博物館となったルイジ・ストゥルツォ市民博物館、マヨルカ焼きで装飾されたサン・フランチェスコ橋などがある。

ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニアは14世紀以来の城郭都市で、地震後は城壁内が従来の都市レイアウトを活かす形で再建された。この町で世界遺産の資産となっているのは2件のみで、1件はサン・ニコロ教会(サン・ニコロ・エ・デル・サンティッシモ・サルヴァトーレ教会)だ。同地に立っていた教会堂を廃棄して新たに建て直した教会堂で、ジローラモ・パラッツォットやフランチェスコ・バッタリアといった著名なバロック建築家が設計を担当した。ラテン十字形・三廊式の教会堂で、十字形の交差廊にドームを頂くシチリア・バロックの典型的な形を採っている。ただ、現在のドームは1904年に築かれたもので、シチリア島東部初となる鉄筋コンクリート造の作品となっている。もう1件はサンタ・マリア・デッラ・ステラ教会で、地震で倒壊した城外の同名教会(現在のサンタ・マリア・ラ・ヴェーテレ教会)に代わるものとして1722~41年頃に築かれた。バロック様式のファサードはジュゼッペ・フェッラーラの設計で、内部はアンドレア・デッラ・ロッビアのルネサンス期の彫刻作品「キリストの降誕」やジュゼッペ・バローネが1945年に描いたフレスコ画、聖具室の見事な宝物などで知られる。

モディカは旧市街がバロック様式で再建されると同時に、その外に新市街が建設された。この町で資産となっているのはサン・ジョルジョ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂の2件。サン・ジョルジョ大聖堂は中世初期以来の歴史を誇る教会堂で、幾度もの再建の後、17世紀半ばにバロック様式で改装された。地震でも全壊は免れ、18世紀に修復・再建が進められた。ラテン十字形・五廊式の教会堂で、特徴的なのは高さ62mを誇る塔のようなファサードで、地震後の1702~1842年に建設された。また、十字形の交差廊に冠されたドームも高さ36mと高く、ヴァル・ディ・ノートでも際立った教会堂となっている。イエスの生涯を描いた主祭壇の祭壇画はマニエリスムの画家ベルナルディーノ・ニグロの傑作として非常に名高い。サン・ピエトロ大聖堂は14世紀創建の教会堂で、こちらも度重なる地震で何度も再建され、1693年の地震でも一部は耐え抜いた。バシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・三廊式の教会堂で、ファサードは聖母マリアや聖人像、スタッコ細工やブロークン・ペディメント(上部が欠けた三角破風)など多様な装飾で飾られており、階段にも見事な十二使徒像が見られる。

アルベリア山麓の町ノートは地震によって壊滅的な被害を受けて元の町は放棄され、近郊の高原に新たな町が建設された。カマストラ公ジュゼッペ・ランツァの指揮の下で建築家・数学者ジョヴァンニ・バティスタ・ランドリナや軍のエンジニアであるカルロス・デ・グルーネンベルグなどによって整然と区画整理され、ロザリオ・ガグリアルディやその弟子ヴィチェンツォ・シナトラをはじめバロックの著名な建築家を招いて設計を依頼した。代表的なバロック建築としては、まずサン・ドメニコ教会が挙げられる。ガグリアルディの設計で1703~27年に建設されたラテン十字形・三廊式の教会堂で、ドミニコ会の修道院教会として建設された。湾曲したファサードを持ち、1階はドーリア式、2階はイオニア式の柱を使用し、要所にブロークン・ペディメントを配している。ヴィト・ダンナによる聖母画は非常に名高い。サンタ・キアラ教会もガグリアルディの設計で、1730~58年に建設された。ファサード-ナルテックス(拝廊)-身廊-アプス(後陣)という平面プランで、身廊は楕円形のユニークな形状を採っている。身廊内部は白と金・黒を基調とした美しいスタッコ細工や彫刻、祭壇画で飾られている。ドゥチェツィオ宮殿(現・市庁舎)はシナトラの設計で1830年に完成した宮殿で、フランスの宮殿建築を参考に築かれた。ファサードは湾曲した凸面を中心に1階はイオニア式の円柱と20のアーチ、2階はコリント式の四角柱ピラスター(付柱。壁と一体化した柱)と13の窓が連なる特徴的なデザインとなっている。大きな鏡を備えた楕円形の鏡の間が有名。これら以外の代表的なバロック建築には、地震後に再建されたもの1990年の地震のためか1996年にファサードや側廊等を残してふたたび倒壊・再建されたノート大聖堂(サン・ニコロ大聖堂)、シナトラの設計でバロック装飾で飾られた約90の部屋を持つニコラチ・ディ・ヴィッラドラータ宮殿(現・市立図書館)、特徴的なバロック様式のファサードとスタッコ細工で飾られた多くの部屋を持つアストゥート・ディ・ファルジョーネ宮殿などがある。

パラッツォーロ・アクレイデでもモディカ同様、旧市街を再建すると同時に、郊外に新市街が築かれた。資産となっているのは旧市街のサン・パオロ聖堂とサン・セバスティアーノ聖堂の2件。サン・パオロ聖堂は1721~80年に再建されたバシリカ式・三廊式の教会堂で、塔のような3層のファサードを持ち、1~2階中央部はコリント式の円柱、他は四角柱のピラスターで構成されており、頂部は鐘楼を兼ねている。内部のあちらこちらに掲げられたジュゼッペ・クレスタドーロの絵画はよく知られている。サン・セバスティアーノ聖堂は1723~68年頃に建設されたバシリカ式・三廊式の教会堂で、ピラミッド形の3層のファサードを持ち、やはり1~2階中央部はコリント式の円柱、他は四角柱のピラスターで、ブロークン・ペディメントが随所に見られる。白と金を基調とした美しいバロック装飾で知られ、天井には見事なフレスコ画が描かれている。

ラグーザの被害もきわめて大きく、旧市街(ラグーザ・インフェリオーレ/ラグーザ・イブラ)も再建されたが、町の西に方格設計のレイアウトを持つ新市街(ラグーザ・スペリオーレ)を建設して多くの住民が移転した。資産は両地域にまたがっており、9棟の主要な教会堂と7棟の主要な宮殿を含んでいる。代表的なバロック建築として、まず旧市街のサン・ジョルジオ大聖堂が挙げられる。16世紀までサン・ニコラ教会が立っていた場所で、ロザリオ・ガグリアルディの設計で1739年に建設が開始された。ラテン十字形・三廊式の教会堂で、ファサードは中央がわずかに湾曲した3層のシチリア・ゴシックらしいデザインで、最上段には鐘を設置して鐘楼を兼ねている。交差廊上部のコリント式の柱に支えられたドームは新古典主義様式で、ファサードとともに壮大な外観を生み出している。近くにあるサン・ジュゼッペ教会は楕円形の身廊を持つ単廊式のバシリカ式教会堂で、サン・ジョルジオ大聖堂とよく似たファサードを持つ。新市街のサン・ジョヴァンニ・バッティスタ大聖堂は地震後の1694年に建設が開始されたラテン十字形・三廊式の教会堂だ。ファサードはコリント式の円柱やピラスター、彫像、ブロークン・ペディメントといったバロック装飾で覆われており、交差廊のドームと高さ50mの鐘楼が壮大さをいっそう演出している。新市街のザッコ宮殿は1750年頃に建設されたタウンハウス(2~4階建ての集合住宅)で、ザッコ家が購入してその名が付いた。ポータルやグロテスクな彫刻で支えられた錬鉄製のバルコニーが特徴的だ。カンチェッレリア宮殿は18世紀前半にニカストロ家が建設した宮殿で、19世紀に自治体が購入して市長の庁舎となった。やはりポータルやバルコニーがユニーク。

シクリは都市レイアウトを変えずに再建が進められたが、町の中心は都市化された地域に移された。資産はフランチェスコ・モルミノ・ペンナ通りの周辺で、代表的なバロック建築としてサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会が挙げられる。15世紀以前の創建と見られる教会堂で、地震後にバロック様式で再建された。ファサードは3層で頂部に鐘楼を掲げており、ファサード-ナルテックス-身廊-アプスの構成で、身廊は楕円形となっている。サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会の平面プランも同様で、身廊もやはり楕円形だ。内部はマヨルカ焼きで彩られたカラフルな空間となっている。サンタ・テレザ教会はカルメル会の修道院教会として17世紀に建設されたが、地震で倒壊して18世紀にタウンハウスのような小さな教会堂が再建された。地味ながら洗練されたファサードで、内部はピエトロ・カルトラロの漆喰やスタッコ細工で装飾されている。ベネヴェンターノ宮殿は地震後にベネヴェンターノ家によって建設された宮殿で、シチリア・ゴシックでもっとも美しい宮殿とも評される。ポータルや柱、破風、バルコニーの装飾が名高く、特にバルコニー下のムーア人(イベリア半島のイスラム教徒)の顔の彫刻はユニーク。

■構成資産

○カルタジローネ

○カターニア

○ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア

○モディカ

○ノート

○パラッツォーロ・アクレイデ

○ラグーザ

○シクリ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

シチリア島南東部のヴァル・ディ・ノートの町々は後期バロック様式の芸術と建築の傑作であり、人類の創造的な才能を如実に物語っている。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々はヨーロッパのバロック芸術の集大成であり、最後の開花を表現するものである。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

1693年の地震の結果もたらされた後期バロック様式の芸術と建築は地理的・年代的に均質で、並外れたクオリティを誇る。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

ヴァル・ディ・ノートの8つの後期バロック様式の町々はつねに地震やエトナ山の噴火の危険にさらされており、環境に適応した特徴的な居住スタイルや都市形態を引き継いでいる。

■完全性

資産はヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式を代表する地域を内包し、その顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての特徴を含んでいる。1693年の地震は都市の芸術・建築における大規模な復興や耐震化のきっかけとなり、復興に伴う建設あるいは都市計画に基づく開発の結果、8件の構成資産が生み出された。中心部は住民の活気ある社会とともに居住機能を維持している。

■真正性

8件の構成資産は個々の建物と都市構造の両面においてシチリア島南東部の後期バロック様式の芸術・建築様式の顕著な均一性を示しつづけている。特に都市構造についてはほぼ完全に保存されており、変更はほとんど加えられておらず、地震による倒壊に対するさまざまな対応を示している。

資産は真正性の要件を満たしているが、長期的な劣化のみならずさらなる地震活動の影響を受けており、きわめて多数の建物や記念碑的な建造物群が大規模な修復や強化・保守管理を必要としている。

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