マントヴァとサッビオネータ

Mantua and Sabbioneta

  • イタリア
  • 登録年:2008年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iii)
  • 資産面積:235ha
  • バッファー・ゾーン:2,330ha
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、マントヴァとインフェリオーレ湖。右の重厚な建物がサン・ジョルジョ城、中央手前の鐘楼がパラティーナ・ディ・サンタ・バルバラ聖堂、中央奥のドームがサンタンドレア聖堂、左の高い塔がズッカロ塔、その左がガンブリーニ塔
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、マントヴァとインフェリオーレ湖。右の重厚な建物がサン・ジョルジョ城、中央手前の鐘楼がパラティーナ・ディ・サンタ・バルバラ聖堂、中央奥のドームがサンタンドレア聖堂、左の高い塔がズッカロ塔、その左がガンブリーニ塔
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、マントヴァのソルデッロ広場。左がマントヴァ大聖堂、奥の塔がその鐘楼、右がドゥカーレ宮殿のカピターノ宮殿
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、マントヴァのソルデッロ広場。左がマントヴァ大聖堂、奥の塔がその鐘楼、右がドゥカーレ宮殿のカピターノ宮殿 (C) Carlo Alberto Magagnini
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、マントヴァのテ宮殿、東ファサードの名誉のロッジア
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、マントヴァのテ宮殿、東ファサードの名誉のロッジア (C) Marcok
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、サッビオネータのドゥカーレ広場とドゥカーレ宮殿
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、サッビオネータのドゥカーレ広場とドゥカーレ宮殿 (C) Davide Papalini
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、サッビオネータの ガッレリア・デリ・アンティキ
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ」、サッビオネータの ガッレリア・デリ・アンティキ (C) Alain Rouiller

■世界遺産概要

イタリア北部を流れるポー川流域に位置するマントヴァとサッビオネータ。いずれもルネサンス期の都市レイアウトと建築を色濃く残す都市ながら、マントヴァは長い歴史を持ち多様な文化が混在する古都であるのに対し、南西30kmほどに位置するサッビオネータは16世紀にルネサンス理想都市として1から設計された。

○資産の歴史

マントヴァはポー川の支流であるミンチョ川をせき止めて建造されたインフェリオーレ、メッツォ、スペリオーレという3つの湖に囲まれた岬状の土地に築かれた都市で、イタリア半島北部に広がるポー平原の陸路と水路の要衝として発達した。その名はエリトリア人の神マントゥスに由来し、紀元前6世紀には村として成立していた。湖は12~13世紀に築かれたもので、もともと4つの湖が建造されたが、ひとつは18世紀に干拓された。

マントヴァが飛躍するのは14世紀にゴンザガ家の支配を受けてからだ。14世紀はじめ、ボナコルシ家に仕えていたルイージ・ゴンザガはクーデターを起こして僭主となる。ゴンザガ家のルドヴィコ1世が総督に選出されると実権を握り、市壁を築いて城郭都市として整備した。

1433年にはゴンザガ家のジャンフランチェスコ1世が神聖ローマ皇帝ジギスムントから侯爵位を与えられてマントヴァ侯となり、マントヴァ侯国が成立。当初ゴンザガ家は専制的な政治を行っていたが、15世紀後半、ルドヴィコ2世の時代にルネサンスのヒューマニズム(人文主義。人間性や人間の尊厳を重視する思想)の影響を受けると芸術家や建築家を招集してこれを保護し、ヒューマニズムの学校を築くなどルネサンス文化の啓蒙に貢献した。この時代にドゥカーレ宮殿を中心にサン・ジョルジョ城やサンタンドレア聖堂、サン・セバスティアーノ教会、ポデスタ宮殿など数多くのルネサンス建築が築かれた。

1530年にはフェデリーコ2世が神聖ローマ皇帝カール5世から公爵位を得てマントヴァ公となり、マントヴァ公国に昇格。フェデリーコ2世は建築家ジュリオ・ロマーノに依頼して夏の離宮としてテ宮殿を建設した。ルネサンス様式では幾何学的なデザインや均等な配置といった静的な均衡が重視されたが、テ宮殿では均衡を崩して動的な流れを生むマニエリスム様式(後期ルネサンス様式)が採用された。象徴的なデザインが東ファサードである名誉のロッジアで、極端に平たいデザインでペディメント(三角破風)の位置は低く、柱は均等配分ではなく2本一組で独特のリズムを刻んでいる。同じくジュリオ・ロマーノ設計のマントヴァ大聖堂(サン・ピエトロ大聖堂)は逆に縦長で、2階まで柱が貫くジャイアント・オーダーを採用してルネサンス的な展開様式が崩されている。

17世紀にゴンザガ家が断絶するとマントヴァ継承戦争(1628~31年)やペストの流行などによって衰退し、18世紀にはオーストリア・ハプスブルク家の領地となった。この時代にはダルコ宮殿やテアトロ・ビビエナ(ビビエナ劇場)など新古典主義様式やバロック様式の建物が建設された。

一方、サッビオネータは16世紀後半にゴンザガ家のヴェスパシアーノ1世(ヴェスパシアーノ・ゴンザガ)によってポー川の河畔に築かれた城郭都市だ。設計を担当したのはイタリア人建築家ジローラモ・カッタネオで、この時代に発達した大砲に対応するため厚くて低い城壁で取り囲み、大砲の死角を消して砲弾が中に届かないようにするために6つの稜堡を突き出させて星形要塞のような形状を採った。内部は道路が碁盤の目状に直交する方格設計で、建物の高さもおおよそ統一された。こうした城壁や整然とした平面プランを持つルネサンス期の都市を「ルネサンス理想都市」というが、サッビオネータはその完成形となった。代表的な建物には、ゴンザガ家の公宮であるドゥカーレ宮殿やヴェスパシアーノ1世が暮らしていたジャルディーノ宮殿、ヴェスパシアーノ1世の霊廟であるベアータ・ヴェルジン・インコロナータ教会、建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィの傑作・テアトロ・アランティカ(アランティカ劇場)などがある。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は2件で、マントヴァとサッビオネータ、それぞれの歴史地区が地域で登録されている。マントヴァはおおよそミンチョ川からテ宮殿まで(スタジアムや新街区を除く)、サッビオネータは星形の城壁内となっている。

マントヴァの代表的な宗教建築として、まずマントヴァ大聖堂、正式名称サン・ピエトロ・アポストロ大聖堂(聖使徒ペトロ大聖堂)が挙げられる。14世紀創建の教会堂で、1545年にルネサンス・マニエリスムの名建築家ジュリオ・ロマーノによって改築がはじまり、翌年に亡くなるとジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニらに引き継がれた。ファサードについてはさらに18世紀半ばにニコロ・バスキエラによって改修されている。ラテン十字形・五廊式(身廊と4つの側廊を持つ様式)の教会堂で、十字形がクロスする交差廊に八角形のドームを掲げている。縦に長い特徴的なファサードを持ち、基壇から2階までコリント式の四角柱ピラスター(付柱。壁と一体化した柱)が貫くジャイアント・オーダーとなっている。身廊にはコリント式の柱が立ち並んでおり、アーチを用いず、木造の格天井(正方形や八角形の格間を組み合わせた天井)で荘厳さを演出し、主祭壇や礼拝堂はアントニオ・マリア・ヴィアーニやドメニコ・リッチオ、パオロ・ファリナティといったマニエリスムの芸術家を中心にフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)や絵画・彫刻で装飾されている。ただ、四角形の鐘楼はロマネスク時代のものが引き継がれている。

サンタンドレア聖堂は11世紀の創建と伝わる教会堂で、15世紀後半に建築家レオン・バッティスタ・アルベルティによって改築された。ラテン十字形・三廊式の教会堂で、直径25mを誇る交差廊のドームは18世紀にバロック様式で増築されたものだ。ファサードは2世紀に建てられたアンコーナのトラヤヌス凱旋門を模したものとされ、ローマ時代のデザインとジャイアント・オーダーや溝のないコリント式のピラスターなどルネサンスやマニエリスムの特徴を組み合わせたユニークな意匠となっている。内部でも凱旋門のアーチ部分のデザインが多用されており、柱・梁・天井は絵画やレリーフ、フレスコ画で覆い尽くされている。特にドームとアプスのフレスコ画は見事。クリプト(地下聖堂)には聖遺物としてイエスの血と伝わる聖血が収められている。隣接の鐘楼は15世紀はじめに築かれたゴシック建築となっている。

サン・セバスティアーノ教会もレオン・バッティスタ・アルベルティの設計で、1460年頃に建設が開始されたが奉献は1529年の長引き、ルカ・ファンチェッリが完成させた。おおよそギリシア十字形の特徴的な平面プランを持つルネサンス様式・レンガ造の教会堂で、ファサードには円柱が存在せず、内部にもアプスの装飾的な柱を除いて柱がない。ファサードも身廊内部も装飾は少ないが荘厳な空間を実現しており、アプスを取り囲むドーリア式の列柱を引き立たせている。

パラティーナ・ディ・サンタ・バルバラ聖堂はマントヴァ公グリエルモ・ゴンザガの依頼で1562~72年頃に築かれたドゥカーレ宮殿の付属教会堂だ。ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニ設計のバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)の教会堂で、身廊とアプスの両者に四角形のランタン塔(採光用の塔)を掲げている。ファサードはマニエリスム様式で四角形のドーリア式のピラスターが間隔を変えて並んでおり、装飾はあまり見られない。しかし、身廊は色大理石やレリーフ、スタッコ(化粧漆喰)、フレスコ画で覆い尽くされており、天井は見事な木造格天井となっている。パンテオンと呼ばれるクリプトはゴンザガ家の墓地となっており、代々のゴンザガ家当主の棺が収められている。マントヴァのランドマークのひとつである鐘楼はレンガ造のルネサンス様式で、頂部にバロック様式のドームを冠している。

他に代表的な宗教建築には、11世紀ロマネスク様式の円形礼拝堂であるロトンダ・ディ・サン・ロレンツォ(通称ロトンダ)や、ゴンザガ家御用達の建築家アントニオ・マリア・ヴィアーニ設計によるバロック様式の教会堂サン・マウリツィオ教会などがある。

マントヴァの代表的な宮殿建築として、ドゥカーレ宮殿が挙げられる。13~18世紀までボナコルシ家やゴンザガ家、ハプスブルク家の拠点となった場所で、城塞・宮殿・礼拝堂・中庭・庭園などが連なる広大な宮殿コンプレックスとなってる。宮殿はおおよそコルテ・ヴェッキア、コルテ・ヌオーヴァ、ドムス・ノヴァ、パラティーナ・ディ・サンタ・バルバラ聖堂(先述)、サン・ジョルジョ城(後述)というエリアからなり、ロマネスク様式から新古典主義様式まで多彩な様式の建造物が散在し、計500以上の部屋と15の中庭・庭園を持つという。代表的な建物には、13~14世紀に築かれたゴシック様式の宮殿であるカピターノ宮殿や、侯妃イザベラ・デステの邸宅で豪奢なフレスコ画や彫刻・鏡で装飾されたアパルタメント・ディ・イザベラ・デステ、豪華なタペストリー(装飾用の織物)で飾られたタペストリーの部屋=スタンツァ・デリ・アラッツィ、15世紀にルカ・ファンチェッリが設計したルネサンス様式の宮殿でルーベンスの聖三位一体の祭壇やバロック様式のクロイスター(中庭を取り囲む回廊。ペリスタイルが発達したもの)などで知られるドムス・ノヴァなどがある。

テ宮殿はゴンザガ家のマントヴァ公フェデリーコ2世がジュリオ・ロマーノに依頼して夏の離宮として築いた宮殿で、1524~34年に建設された。「□」形・平屋のコートハウス(中庭を持つ建物)で、四方のファサードがそれぞれ異なるデザインとなっている。特徴的なのは東ファサードの名誉のロッジアで、ルネサンス的な半円アーチとバロック的なドーリア式の2本柱が連なるマニエリスムの特徴的なデザインとなっている。内部はフレスコ画や絵画をはじめとする数多くの芸術作品であふれており、巨人の間のジュリオ・ロマーノのフレスコ画や太陽と月の間のフランチェスコ・プリマティッチオのフレスコ画、ティツィアーノの「フェデリーコ2世の肖像」などが名高い。宮殿の東にはエクセドラ(半円の列柱廊)や庭園があり、周囲にはテ公園が広がっている。

エルベ広場に位置するラジョーネ宮殿は1250年頃にカノッサ家が建設したロマネスク様式の重厚な宮殿で、15世紀にルネサンス様式の時計塔(オロロージョ塔)とアーケード(屋根付きの柱廊)が加えられた。時計塔はルカ・ファンチェッリの設計で、天文時計は時間だけでなく月齢なども示すことができた。隣接のポデスタ宮もエルベ広場沿いの宮殿で、13世紀に創建され、15世紀にルカ・ファンチェッリによってルネサンス様式で改修された。

これ以外の代表的な宮殿には、ボナコルシ家の居城で後にゴンザガ家の宮殿となったゴシック様式のボナコルシ宮殿や、マントヴァ侯フランチェスコ2世が16世紀はじめに建設した宮殿で美しい内装やコレクションで知られるサン・セバスティアーノ宮殿(現・市立博物館)、15世紀に建築家アンドレア・マンテーニャが自ら設計したルネサンス様式の傑作マンテーニャ邸、15世紀の建設で17世紀にフラン・ゲッフェルスが改修してマントヴァを代表するバロック建築となったソルディ宮殿、ダルコ家の居城として18世紀にネオ・パッラーディオ様式で築かれたダルコ宮殿などがある。

上記以外の代表的な建造物として、まずサン・ジョルジョ城が挙げられる。もともとドゥカーレ宮殿付属の城塞で、フランチェスコ1世が1400年前後に建設し、1500年頃にルドヴィコ2世がルカ・ファンチェッリに改修させた。「□」形で四隅に塔を持つ堅牢な城塞で、ゴンザガ家の宮殿としても使用された。ペスケリエ・ディ・ジュリオ・ロマーノは日本語で「ジュリオ・ロマーノの魚屋」を意味する店舗で、ロマーノの設計で1536年にルネサンス様式で建てられた。1階はアーケードで歩道となっており、2階に細長い部屋が確保されている。ズッカロ塔は1143年頃に建設されたロマネスク様式のレンガ造の角楼で、高さ42.3mを誇る。近郊のガンブリーニ塔も同時期の建設で、高さ32mとなっている。こうした塔はサラロ塔やボアテリ塔など他にも見られるが、川の氾濫に対応した倉庫として使用されていた。

サッビオネータでは町が築かれた16世紀後半に多くの建物が建設された。代表的な宮殿として、まずドゥカーレ宮殿が挙げられる。ヴェスパシアーノ1世が建設したゴンザガ家の宮殿で、16世紀後半にルネサンス様式で築かれた。大理石製の美しいポルティコやゴンザガ家の代々当主の騎馬像が収められた先祖の間をはじめ、数多くの部屋を有している。ジャルディーノ宮殿(庭園宮殿)はヴェスパシアーノ1世がプライベートで使用したルネサンス様式の私邸で、画家カルロ・ウルビーノの作品で知られるオルフェウスのクロイスターや、鏡とヤン・ソーンスの絵画で彩られた鏡の間、整然と区画されたイタリア式庭園などが名高い。アルミ広場に面したガッレリア・デリ・アンティキ(古代ギャラリー)はゴンザガ家のギャラリーで、全長97mという非常に細長い建物でギャラリーはイタリアで2番目の長さを誇る。壁面はさまざまな装飾で覆われており、かつては彫刻や花瓶・絵画などの宝物を収蔵していたが、多くはマントヴァに持ち運ばれた。

サッビオネータの代表的な宗教建築には、ベアータ・ヴェルジン・インコロナータ教会がある。1586~88年に建設された八角形の教会堂で、室内を覆う装飾は18世紀に改装されたものだ。天井はトロンプ・ルイユ(騙し絵)で、八角錐の塔がそびえているような錯覚を起こさせる。内部にはヴェスパシアーノ1世とその妻・息子・娘らの棺が収められている。サン・ロッコ教会は16世紀に築かれたルネサンス様式の教会堂だが、現在はギャラリーとして使用されている。

他に代表的な建物として、1590年に開館したテアトロ・アランティカが挙げられる。ヴィンチェンツォ・スカモッツィが設計した直方体の劇場で、観客席の周囲をコリント式の列柱と神々の像が取り囲んでいる。壁面はトロンプ・ルイユで、劇場の柱と町の様子がフレスコ画で描かれており、野外劇場を錯覚させる造りとなっている。

■構成資産

○マントヴァ

○サッビオネータ

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(i)「人類の創造的傑作」でも推薦されていたが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は一部の建物についてはその価値を認めたものの、全体として人類の創造的な才能を示す傑作であることは証明されていないとしてその価値を認めなかった。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

マントヴァとサッビオネータはルネサンスのヒューマニズム的価値の変遷と発展の際立った証拠である。マントヴァはルネサンスの都市計画によって変化した古都であり、サッビオネータはルネサンスの理想的な都市計画の下で新たに建設された計画都市であり、ルネサンス都市のふたつの側面を表している。これらは建築的・技術的・記念碑的・芸術的重要性を持ち、ヨーロッパ内外のルネサンス文化の普及に顕著な役割を果たした。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

マントヴァとサッビオネータは特定の歴史期間・特定の文明に関する稀有な証拠であり、ルネサンスの都市レイアウト・建築・芸術をよく表現している。ゴンザガ家によって育まれたルネサンスの理想は都市の形態や建築・機能・システム・生産活動に反映され、長期にわたって維持され、現在まで伝えられている。

■完全性

ふたつの構成資産はもっとも重要な都市・建築の要素が長期にわたって保存されているため、完全性と真正性の必要条件を満たしている。両資産とも良好な保護状態にあり、法的保護体制と管理システムも適切である。

マントヴァとサッビオネータはいずれもルネサンス都市を構成するすべての要素を含んでおり、そのほとんどは手付かずで伝えられている。マントヴァはルネサンスの都市計画と建物の機能・システムを維持しており、サッビオネータはルネサンス理想都市の特徴を保持している。開発や戦争により若干の損傷を受けたが、被害は軽微で完全性は損なわれていない。

■真正性

マントヴァとサッビオネータはルネサンスの都市レイアウトや建物がそのまま伝えられており、建築のみならず周囲の景観や環境も高いレベルで維持され、地理的・環境的に同一で、視覚的・機能的にも統一性を保っている。法的保護によって公共施設や都市形態・機能・システム等が守られているだけでなく、住宅や社会構造・伝統的な生産活動も維持されている。20世紀の開発や世界大戦によって多少の被害は受けたが、真正性を毀損することはなく最小限に抑えられた。

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