サヴォイア王家の王宮群

Residences of the Royal House of Savoy

  • イタリア
  • 登録年:1997年、2010年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iv)(v)
  • 資産面積:370.82ha
  • バッファー・ゾーン:6,931.47ha
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、王宮、キアブレーゼ宮殿、カステッロ広場、レアーレ広場、サルデーニャ軍司教記念碑
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、右奥がトリノ王宮、左はキアブレーゼ宮殿、手前の広場はカステッロ広場、奥がレアーレ広場、右はサルデー
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、マダマ宮殿
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、マダマ宮殿
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、カリニャーノ宮殿のメイン・ファサード
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、カリニャーノ宮殿のメイン・ファサード
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、カッチャ・ディ・ストゥピニージ宮殿の王のアパートメント
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、カッチャ・ディ・ストゥピニージ宮殿の王のアパートメント
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、ヴァレンティーノ城
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、ヴァレンティーノ城
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、ポレンツォ城
世界遺産「サヴォイア王家の王宮群」、ポレンツォ城。右が宮殿、中央左がポレンツォ塔、その右がサン・ヴィットーレ教会

■世界遺産概要

イタリア北西部ピエモンテ州の州都トリノはサヴォイア家が主導したサヴォイア公国、サルデーニャ王国、イタリア王国の首都であり、トリノ王宮(レアーレ宮殿)を中心に数々の宮殿や城・施設が築かれた。このうち22棟の建造物、構成資産としては14件が世界遺産として登録されている。なお、本遺産は2010年にバッファー・ゾーンが拡大されている。

○資産の歴史

サヴォイア家はもともとフランス南東部のサヴォワ地方とイタリア北西部のピエモンテ地方を拠点とするサヴォイア公国の公爵家で、フランスによる併合を恐れて1562年にサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトが首都をフランスのシャンベリからトリノに遷した。当時のトリノは小さな城郭都市だったが、サヴォイア家は宮殿や官公庁を建設して都市改造を行い、周辺の城を整備して守りを固めた。

18世紀のスペイン継承戦争(1701~14年)ではイギリス、オーストリア側についてフランス軍を撃破。この戦功でシチリア王国を得て王家に昇格し、1720年にシチリア島をサルデーニャ島と交換してサルデーニャ王国が成立した(首都はトリノのまま)。

フランスのナポレオンの侵略で一時サルデーニャに退避するが、ナポレオン後のヨーロッパ世界の在り方を模索した1814~15年のウィーン会議でジェノヴァの領有を認められてイタリア北西部を統一し、北東部を押さえるロンバルド=ヴェネト王国と覇を競うまでに発達した。

1820~21年、秘密結社カルボナリ(炭焼党)が自由と民主主義を求めてナポリとピエモンテで蜂起。ロンバルド=ヴェネト王国を傀儡とするオーストリアが蜂起を鎮圧し、イタリア全土で勢力を伸ばす。反オーストリアとイタリアの統一・独立・民主化を求める声が高まると、サルデーニャ王国は1848年に憲法を制定して立憲君主政に移行。イタリア統一運動リソルジメントを推進してオーストリアに宣戦布告するが、この戦いは敗北に終わった。

1859年、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はオーストリアとイタリア統一戦争を戦い、これに勝利してロンバルド=ヴェネト王国のロンバルディアを併合。サヴォワ地方とニースをフランスに割譲する代わりにイタリア北部と中部の統一を成し遂げた。翌年、イタリア南部の両シチリア王国を攻略したガリバルディがサルデーニャ王国にこれらを献上してついにイタリアを統一。1861年にイタリア王国が成立し、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が初代国王に就任した。首都は1865年までトリノに置かれ、その後フィレンツェ(世界遺産)やローマ(世界遺産)に遷された。トリノはこのように16~19世紀までサヴォイア家の公国・王国の首都としてありつづけた。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は14件で、このうちの1件であるコマンド地区に9棟の建物が含まれている。このため建物としては計22棟が登録されている。22棟の内、11棟はトリノ中心部のコマンド地区とその近郊に位置する。これは16~17世紀にかけてカルロ・エマヌエーレ1世が建築家アスカニオ・ヴィトッツィに依頼して行った都市計画によるもので、トリノ王宮を中心にバロック様式と新古典主義様式の荘厳な宮殿および施設群が立ち並んだ。コマンド地区の9棟はトリノ王宮、キアブレーゼ宮殿、王立武具博物館・王立図書館、県宮殿(旧州事務局)、州立公文書館(旧裁判所公文書館)、旧陸軍士官学校、乗馬学校と厩舎、造幣局、王立劇場ファサードで、トリノ中心部の11棟はこれらにマダマ宮殿とカリニャーノ宮殿を加えたものとなる。

近郊の11棟はトリノ周辺を守る8城と狩猟館であるカッチャ・ディ・ストゥピニージ宮殿、ヴェナニア・レアーレ宮殿、ヴィッラ(別邸・別荘)のレジーナ邸で、楕円形の配置から「歓喜の王冠」と呼ばれる防衛網を構成した。城の多くは16世紀以前からあるもので、それらをバロック様式を中心に改修を行った。8城はボルゴ城、ヴァレンティーノ城、モンカリエーリ城、リヴォリ城、アリエ公爵城、ラッコニージ城、ゴヴォネ城、ポレンツォ城となっている。

主な建物として、まずトリノ王宮=レアーレ宮殿が挙げられる。もともとはサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトがトリノに遷都した際に築いた公爵宮殿で、建築家アスカニオ・ヴィットッツィが都市計画の一部として設計を行った。17世紀にヴィットーリオ・アメデーオ1世とフランス・ブルボン家の公妃クリスティーナ・ディ・ボルボーネ=フランチアが近代化を行い、建築家フィリッポ・ユヴァッラによってフランス風のバロック様式に改修された。18世紀、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世の治世に新古典主義様式が導入され、現在の形となった。おおよそ長方形のコートハウス(中庭を持つ建物)で、南ファサード(正面)は全長107m、高さは平均で30mを誇る。王のエリアをはじめ豪奢な部屋の数々で知られ、特にオーストリアのバロック画家ダニエル・シーターのフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)で覆われたダニエル・ギャラリーや、建築家グアリーノ・グアリーニの設計で16~17世紀に建設されたサクラ・シンドネ礼拝堂(聖シュラウド礼拝堂/聖骸布礼拝堂)は名高い。サクラ・シンドネ礼拝堂はイエスの遺体を包み、布にイエスの姿が顕現するという奇跡で知られる「トリノの聖骸布」を収めるために建設された礼拝堂だが、聖骸布は1983年に教皇に寄贈され、現在は隣接するトリノ大聖堂(サン・ジョヴァンニ・バッティスタ大聖堂)に保管されている。トリノ大聖堂は資産に含まれていないが、隣接するキアブレーゼ宮殿や王立武具博物館・王立図書館をはじめ8棟がコマンド地区の資産に含まれている。

マダマ宮殿は王宮正面のレアーレ広場に隣接するカステッロ広場に面した宮殿で、かつてはアカイア城と呼ばれていた。ローマ時代から城塞があった場所で、14世紀にサヴォイア家の分家であるアカイヤ家がレンガ造の城塞を建設した。18世紀にフィリッポ・ユヴァッラが白い切石でバロック様式の洗練されたファサードを増築し、前部が宮殿建築で後部が4基の円柱形の塔を持つ城塞というユニークな建造物が誕生した。現在は市立古典美術館として一部が公開されている。

カリニャーノ宮殿はもともとはサヴォイア家の分家であるカリニャーノ家のエマヌエーレ・フィリベルトによって1679~85年に建設された宮殿で、設計はグアリーノ・グアリーニが担当した。バロック様式の「□」形のコートハウスで、西面のメイン・ファサードはレンガ造で波打つような曲面を持ち、中央に巨大なバロック破風と白い切石によるポータル(玄関)を備えた重厚なデザインであるのに対し、19世紀に増築された東面のリア・ファサードは白の切石を駆使した軽快なネオ・ルネサンス様式となっている。中庭も非常にユニークで、西面に楕円形の塔が埋め込まれている。

カッチャ・ディ・ストゥピニージ宮殿はイタリア語で「ストゥピニージの狩猟邸」といった意味で、かつてはアカイヤ家の小さな城があり、周辺の森は狩猟場となっていた。サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世が王家にふさわしい離宮を建てることを決め、フィリッポ・ユヴァッラに設計を依頼して1729~37年に建設された。カルロ・エマヌエーレ3世やヴィットーリオ・アメデーオ3世の時代に増築され、幾何学的な平面プランを持ち、137もの部屋と17のギャラリーを有する巨大な宮殿となった。宮殿はおおよそ、王のアパートメント、王妃のアパートメント、公爵のアパートメント、キアブレーゼ公爵のアパートメント、カリニャーノ王子のアパートメントといったウイング(翼廊/翼棟/袖廊。複数の棟が一体化した建造物群の中でひとつの棟をなす建物)に分かれており、これ以外にエントランスや図書館、オランジェリー(オレンジなどの果樹を栽培するための温室)などがある。中心は王のアパートメントで、「×」形の聖アンデレ十字の形を採っている。圧巻はロココ様式の中央ホールで、曲面を駆使した天井の全面がフレスコ画で覆われており、スタッコ細工や彫刻で装飾されている。これ以外に、中国の絵画や磁器で飾られたシノワズリ(中国趣味)が美しいキアブレーゼ公爵のアパートメントのゲーム・ルームや、ロココ装飾で覆われた鏡の間、天蓋付きのベッドを中心にフレスコ画やロココ装飾で彩られた王妃のアパートメントの王妃の間などが名高い。周辺の森はストゥピニージ自然公園として保護されている。

レジーナ邸(ヴィッラ・デッラ・レジーナ)は17世紀はじめに枢機卿マウリツィオ・ディ・サヴォイアの依頼でアスカニオ・ヴィトッツィが設計したヴィッラで、夏の離宮として使用された。内装はバロック・ロココ装飾で彩られており、数多くのフレスコ画や彫刻が見られる。特徴的なのは庭園で、東に大きな半円形のバロック庭園があり、カスケード(階段状の連滝)を下った水は地下のグロッタ(洞窟)を通って西の円形の庭園から噴水を吹き上げる。

ヴェナニア・レアーレ宮殿はカルロ・エマヌエーレ2世が狩猟館としてアメデオ・ディ・カステッラモンテやミケランジェロ・ガローヴェに依頼して1658~79年頃に建設した宮殿で、ヴィットーリオ・アメデーオ2世、3世らがフランスのヴェルサイユ宮殿(世界遺産)を目指して増築・改修を行い、フィリッポ・ユヴァッラやベネデット・アルフィエーリといった一流建築家を招集してバロック様式や新古典主義様式の広大な宮殿を築き上げた。バロック・ロココの装飾であふれており、画家ヴィットリオ・アメデオ・チニャロリをはじめとする数千点の絵画やスタッコ芸術家ピエトロ・ソマッツィによるスタッコ細工のほか、多数の彫刻やフレスコ画で飾られている。広大な庭園はイタリア式庭園で、運河と噴水を中心に整然と区画されており、ヘラクレスの噴水や円形劇場・時計塔などが配されている。サントゥベルト教会はフィリッポ・ユヴァッラの設計によるバロック様式の教会堂で、ギリシア十字形の平面プランの中央に八角形のドームを冠している。ドーム内部はトロンプ・ルイユ(騙し絵)を用いて立体感を出しており、全体を白で統一して彫刻やスタッコで飾るなど清冽な空間を演出している。

ヴァレンティーノ城は1564年にサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトが購入した城塞で、17世紀にヴィットーリオ・アメデーオ1世とフランス・ブルボン家出身の公妃クリスティーナ・ディ・ボルボーネ=フランチアが建築家カルロ・ディ・カステッラモンテに依頼してフランス風の宮殿に改装した。ポー川に面した「コ」形の2~3階建てのコートハウスで、5階建ての4基の長方形の塔を持ち、ファサードにバロック破風と2層のロッジア(柱廊装飾)を持つ洗練されたデザインとなっている。フランスの影響が強く出ているが、ロッジアなどイタリアの意匠も組み込んでいる。

モンカリエーリ城は1100年頃のサヴォイア伯国時代に創建された歴史ある城塞で、15世紀後半のサヴォイア公アメデーオ9世の時代に宮殿あるいは別荘として改修した。こちらもヴィットーリオ・アメデーオ1世と公妃クリスティーナ・ディ・ボルボーネ=フランチアが改装を行い、カルロとアメデオのカステッラモンテ親子が設計を担当した。丘にたたずむ「コ」形・レンガ造のコートハウスで、長方形の4基の塔と円柱形の2基の塔を持つ。南にイタリア式庭園であるローゼ庭園(バラ庭園)があり、北にはイギリス式庭園(自然を模したイギリスの風景式庭園)が広がっている。

残り6城について、ボルゴ城は19世紀はじめにヴィットーリオ・アメデーオ2世がミケランジェロ・ガローヴェに依頼して建設した狩猟や厩舎のための建物で、サルデーニャ王で後にイタリア王となるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が宮殿として拡張して完成した。リヴォリ城は9世紀以来の城塞で、11~12世紀にサヴォイア家が購入して整備し、16~17世紀にアスカニオ・ヴィトッツィをはじめとする建築家が城を修復・改装した。アリエ公爵城は12世紀にサヴォイア家が購入した城塞で、17世紀にアメデオ・ディ・カステッラモンテによって改築され、18世紀にはサルデーニャ王国の夏の離宮として使用された。ラッコニージ城は11世紀創建の城塞で、14世紀にアカイヤ家の所領となり、17世紀にエマヌエーレ・フィリベルトがグアリーノ・グアリーニに改築させ、18世紀には新古典主義様式に改修された。ゴヴォネ城も中世以来の城塞で、伯爵家であるソラロ家が17~18世紀にグアリーノ・グアリーニやベネデット・アルフィエリに依頼して改築させ、1792年にサヴォイア家の所有となり、アリエ公爵城とともに夏の離宮となった。ポレンツォ城はローマ時代から城塞があった要衝で、16世紀後半以降にサヴォイア家によってマニエリスムの宮殿が築かれ、19世紀にゴシック・リバイバル様式のサン・ヴィットーレ教会が建設された。

■構成資産

○トリノ・コマンド地区

コマンド地区の構成資産は、トリノ王宮、チャブレツェ宮殿、王立兵器庫・王立図書館、県宮殿(旧州事務局)、州立公文書館(旧裁判所公文書館)、旧陸軍士官学校、乗馬学校と厩舎、造幣局、王立劇場ファサードの9件。

○マダマ宮殿

○カリニャーノ宮殿

○カッチャ・ディ・ストゥピニージ宮殿

○ボルゴ城、マンドリア公園

○ヴァレンティーノ城

○レジーナ邸

○モンカリエーリ城

○リヴォリ城

○ヴェナニア・レアーレ宮殿

○アリエ城

○ラッコニージ城

○ゴヴォネ城

○ポレンツォ城

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

宮殿群はアスカニオ・ヴィトッツィ、ベネデット・アルフィエーリ、アメデオ・ディ・カステッラモンテ、グアリーノ・グアリーニ、フィリッポ・ユヴァッラなどバロック、後期バロックの卓越した建築家・芸術家による傑作であり、人類の創造的な才能を証明している。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

サヴォイア家の記念碑的な建築と都市計画は17~18世紀のバロック期ヨーロッパにおける人類の価値観の交流を反映しており、創造と発展、均質化や装飾・改良において重要な役割を果たした。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

バロックの戦略と様式の際立った例であり、絶対君主制による支配を物理的に示す記念碑的な建造物群である。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

都市空間を管理し、トリノを中心に広大な周辺部をまとめて集権化するための資産群であり、田園や農地といった自然と文化の共生を表す複雑かつ統一的な遺産である。

■完全性

構成資産にはトリノ中心部のコマンド地区から絶対君主制の繁栄を示す「歓喜の王冠」まで、17~19世紀にかけてサヴォイア家が築き上げたもっとも代表的な建造物群が含まれている。2010年に軽微な変更が承認されてバッファー・ゾーンが拡大され、すべての構成資産についてバッファー・ゾーンが設定された。バッファー・ゾーンの周辺には公園や庭園・歴史的な街並みが広がっており、こうした要素は今日においても宮殿群の価値を高めている。

トリノの宮殿群とコマンド地区との歴史的なつながり、軸状の関係性、景観や眺望を明確化するためにバッファー・ゾーンを拡張することにより資産の完全性をさらに強化することが可能である。

■真正性

構成資産の多くは修復を受けているが、実施された保存・修復作業は構造・素材の分析や文献調査など科学的に行われており、不明確だった部分の解明や過去の不適切な修復の修正なども進められている。

一般公開を控えて1970年代に開始されたサヴォイア家の宮殿群の修復・復元作業は現在も進行中である。リヴォリ城の復元計画と1984年に落成した現代美術館への改装が嚆矢となって歴史的・建築的・芸術的資産の復元や公的使用が進み、宮殿や城の利活用の道が開かれた。

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