オルチア渓谷

Val d'Orcia

  • イタリア
  • 登録年:2004年
  • 登録基準:文化遺産(iv)(vi)
  • 資産面積:61,187.9609ha
  • バッファー・ゾーン:5,660.0771ha
世界遺産「オルチア渓谷」の文化的景観
世界遺産「オルチア渓谷」の文化的景観
世界遺産「オルチア渓谷」、モンタルチーノから眺めたモンタルチーノ城塞
世界遺産「オルチア渓谷」、モンタルチーノから眺めたモンタルチーノ城塞 (C) Luca Aless
世界遺産「オルチア渓谷」、テンテンナノ城塞とロッカ・ドルチャの街並み
世界遺産「オルチア渓谷」、テンテンナノ城塞とロッカ・ドルチャの街並み (C) Irene.Sbrilli
世界遺産「オルチア渓谷」、ラディコーファニのラディコーファニ城塞
世界遺産「オルチア渓谷」、ラディコーファニのラディコーファニ城塞 (C) Stefano Viola
世界遺産「オルチア渓谷」、カステルヌオーヴォ・デッラバーテのサンタンティモ修道院の修道院教会
世界遺産「オルチア渓谷」、カステルヌオーヴォ・デッラバーテのサンタンティモ修道院の修道院教会

■世界遺産概要

オルチア渓谷(ヴァル・ドルチャ)はイタリア中北部トスカーナ州の県都シエナ(世界遺産)の南東30kmほどに位置する渓谷で、ローマ(世界遺産)への巡礼路であるフランチジェナ街道の要衝として、あるいはシエナの農業後背地として発展し、自然と畑・放牧地、町や村・城・修道院などが調和した美しい文化的景観を奏でている。

○資産の歴史

13~14世紀、シエナはイギリスのカンタベリーとローマを結ぶ巡礼路フランチジェナ街道の要衝となり、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィア(いずれも世界遺産)といった海洋都市と取引を行ってイタリア屈指の金融センターとして発達した。急速に増加する都市人口に対応するためシエナの商人たちはオルチア渓谷を畑や放牧地として開発し、小作人たちに貸し出して農業経営を行った。開発は生産性を追求するだけでなく、ルネサンス的なヒューマニズム(人文主義。人間性や人間の尊厳を重視する思想)やユートピア(理想郷)思想に則って美しく機能的で平等な農地が求められた。

丘の上に築かれた町や村はヒノキの林で囲まれ、麓には森や畑・放牧地が広がり、畑はバラの垣根で区切られ、町々を結ぶルートはイトスギの並木で示された。ポイントとなる場所にはシエナや街道を守るための城や要塞・砦が築かれ、巡礼路に沿って聖職者や修道士が暮らす教会堂や修道院が建設された。こうした畑で小作人たちはブドウやオリーブ、穀物、果物、野菜などを生産して売上の半分を領主に収めた。また、放牧地ではウシやヒツジなどが飼われ、季節に応じて移動する移牧を行い、牧草や干し草を生産する牧草地が設けられた。こうして森の深い緑から畑の鮮やかな緑まで、多種多様な緑が折り重なるオルチア渓谷の見事な文化的景観が誕生した。

オルチア渓谷の美しい景観はアンブロージョとピエトロのロレンツェッティ兄弟やジョヴァンニ・ディ・パオロ、サノ・ディ・ペトリといったシエナ派の画家にインスピレーションを与え、数多くの風景画に描かれた。これが風景画の発達を促し、オルチア渓谷は理想の田園風景として認識され、地域の誇りとなった。

シエナはイタリア戦争(1494~1559年)において神聖ローマ帝国やフィレンツェ共和国に破れ、フィレンツェ、後にはトスカーナ大公国の下に入り、その繁栄を終える。主要街道や巡礼路からも外れたため一帯は急速に衰退したが、かえってオルチア渓谷は開発されることなく維持された。

1999年、オルチア渓谷公園(オルチア渓谷の自然と文化の芸術公園)を設定して文化と自然の保護を宣言。この公園をベースに、2004年に世界遺産リストに掲載された。

○資産の内容

世界遺産の資産はオルチア渓谷公園と重なっており、非常に広範囲にわたる。中心となるのはピエンツァ、モンタルチーノ、カスティリオーネ・ドルチャ、サン・クイリコ・ドルチャ、ラディコーファニの5自治体で、他にもロッカ・ドルチャやモンティチェッロなど数多くの町があり、カステルヌオーヴォ・デッラバーテの宮殿や教会堂、カスティリオン・デル・ボスコの城塞や教会堂、バーニョ・ヴィニョーニの建造物群、ヴェローナ城といった重要な建造物が存在する。なお、シエナは「シエナ歴史地区」、ピエンツァ市街は「ピエンツァ市街の歴史地区」として世界遺産リストに登録されている。

ピエンツァは世界遺産「ピエンツァ市街の歴史地区」を参照。

モンタルチーノはローマ以前、エトルリア時代からの古い町で、中世には皮なめしや革製品の製作で知られた。フランチジェナ街道とともに発展し、13世紀には城壁で囲われて城郭都市となり、丘の上にモンタルチーノ城塞が建設された。16世紀のシエナ陥落後、貴族の一部はモンタルチーノに居を構え、町の発達に貢献した。町の中心はポポロ広場で、ランドマークとなっている塔を持つプリオーリ宮殿(現・市庁舎)やルネサンス様式のラ・ロッジアといった宮殿が並んでいる。11世紀創建のモンタルチーノ大聖堂は1462年に教区教会から大聖堂に昇格したもので、現在の建物は19世紀に新古典主義様式で改築されている。サン・ロレンツォ・イン・サン・ピエトロ教会、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、サンタゴスティーノ教会など、13~15世紀のロマネスク様式あるいはゴシック様式の数多くの教会堂が残されている。

カスティリオーネ・ドルチャは9世紀以前から伝わる町で、1252年にコムーネ(自治都市)となった。シエナのアルドブランデスキ家の町として発達し、13世紀にサリンベニ家の所領となったが、フィレンツェの手に落ちると1605年にリアリオ家が支配した。ランドマークはロッカ・アルドブランデスカ(アルドブランデスカ岩)の城塞跡で、北に隣接するロッカ・ドルチャに立つテンテンナノ城塞とともにフランチジェナ街道の防衛拠点のひとつとなっていた。中心的な教会堂がサンティ・ステファノ・エ・デグニャ教区教会で、15~16世紀のシエナ・ゴシックのバシリカ式教会堂でシエナ派のフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)で彩られている。12世紀に築かれたロマネスク様式のサンタ・マリア・マッダレーナ教会をはじめ、歴史ある教会堂が数多く残されている。

サン・クイリコ・ドルチャもエトルリア時代からの集落で、10世紀頃から商人が集う街道上の町として発達した。ルネサンス期にはキージ家の拠点となり、宮殿等を築いて町を整備した。最たる例がキージ・ゾンダダリ宮殿で、17世紀にバロック建築家カルロ・フォンタナが枢機卿フラヴィオ・キージのために設計した。数ある歴史的教会堂の一例がサンティ・クイリコ・エ・ジュリッタ教会だ。12世紀にロマネスク様式で建設されたラテン十字形の教会堂で、14世紀にゴシック様式のポータル(玄関)が設置され、17世紀にアプス(後陣)などがバロック様式で改修された。サノ・ディ・ピエトロの祭壇画や見事なフレスコ画などで知られる。

ラディコーファニでは8世紀にラディコーファニ城の存在が確認されており、中世初期から集落として成立していたようだ。762年に隣のアッバディーア・サン・サルヴァトーレにベネディクト会のサン・サルヴァトーレ修道院が建設され、ラディコーファニはその管理下に入った。11世紀にアルドブランデスキ家、13世紀にサリンベニ家の所領となったが、13世紀後半からシエナに対する反乱など混乱が続き、1405年にシエナの下に入った。1555年にフィレンツェ公国に落とされ、中世に破壊された城塞が再建された。歴史的な教会堂が多く、11世紀にロマネスク様式で建設され17世紀にバロック様式で改築されたサン・サルヴァトーレ修道院教会や、1224年に奉献されたロマネスク様式のサン・ピエトロ教会などがある。

カステルヌオーヴォ・デッラバーテもエトルリア時代からの歴史を誇る古い町で、4世紀にはローマ時代の伝説的司祭・聖アンティモに捧げられた礼拝堂が築かれたといわれる。8世紀にはフランク王カール大帝がこの地を征服してカロリンジャ礼拝堂を築き、9世紀に大帝の三男ルートヴィヒ1世が許可を与えてサンタンティモ修道院が創建された。11~12世紀に最盛期を迎え、町も修道院とともに発展したが、シエナの勢力拡大とともに次第に所領を削られ、15世紀にはほとんど放棄された。この時代の教会堂がサンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教区協会で、中世のロマネスク&ゴシック様式の教会堂が15世紀にルネサンス様式で改築された。修道院は19世紀に修復されている。周辺にはロッセルヴァンサ修道院をはじめ数々の修道院があり、多くは同様の運命をたどった。

カスティリオン・デル・ボスコは山中に位置する町で、周囲の多くが自然保護区の森林となっている。エトルリア時代からの歴史を誇り、中世には巡礼地となって城やサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会などが築かれた。この教会堂に描かれたピエトロ・ロレンツェッティの受胎告知のフレスコ画は特に有名。周囲は古くからのブドウ園で、イタリア有数のワインとして名高いブルネッロ・ディ・モンタルチーノのワイナリーがあることでも知られる。

■構成資産

○オルチア渓谷

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(ii)「重要な文化交流の跡」と(iii)「文化・文明の稀有な証拠」でも推薦されていたが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は(ii)のヨーロッパの景観開発に影響を与えたという主張に対しては証明が困難であるとして、(iii)の都市と農村の構造の統合的な建築・都市計画・景観・環境に関する際立った例であるという主張に対しては登録基準(iv)がふさわしいとして価値を認めなかった。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

オルチア渓谷はルネサンス画家たちに繰り返し描かれた例外的な景観であり、当時のすぐれた政治を反映しており、審美的な芸術様式の発展に貢献した。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

人間の営みと自然が調和したオルチア渓谷の文化的景観はルネサンスのひとつの理想であり象徴である。ルネサンス期にシエナ派の画家たちに愛され描かれ、風景に対する思想の発達に大きな影響を与えた。

■完全性

資産とバッファー・ゾーンには顕著な普遍的価値を構成するルネサンスの文化的景観を理解するために必要なすべての要素が含まれている。資産が無傷であることはそのサイズ・範囲・レイアウトおよびほぼ手付かずの集落(町・村・農場コンプレックス)を伴うルネサンスの計画的な農業景観の特徴、ローマのフランチジェナ街道と関連の修道院・教会・旅館・橋などで証明されている。資産は14〜15世紀に景観が形成された際に設立された5自治体のほとんどが含まれている。オルチア渓谷は町や農場のよく保存されたレイアウトや環境の継続的な農業利用に見られるように、全体的にルネサンス期の構造の多くがそのまま引き継がれている。集落とルートの目印となっているイトスギは資産の全体性と完全性に大きく貢献している。オルチア渓谷の景観のいくつかは農業の近代化に伴って大きく変容したためバッファー・ゾーンに組み込まれた。しかしながら文化的景観は一般的によく保存されており、訪問者はルネサンスの美学を容易に理解することができる。

■真正性

オルチア渓谷の特徴は文化的景観と農村部における農業アンサンブルであり、その形状・デザイン・素材・使用・機能・管理システム・配置・精神・印象は本物であり、よく保存されている。オルチア渓谷の高い真正性は特に16世紀以降に主要な道路から外れて周縁化した歴史に由来する。資産のレイアウトはルネサンスの理想的な形状とデザインを反映した農業景観をハッキリと視認でき、そうした形状とデザインは当時のシエナ派の絵画に描かれていることで証明されている。

ルネサンス期の要塞・別荘・教会・街道・農場家屋といった多くの建造物の原料はその建築形態・均質性および範囲とともに特有であり歴史的に真正である。土地と建造物の使用と機能はルネサンス期以来の長期にわたる連続性を示している。管理システムは時とともに変化したが、ルネサンスの土地保有の枠組みは土地区画の規模とレイアウトに明白に表れている。景観はオルチア渓谷にインスパイアされ作品を創造したシエナ派の画家や商人の精神と印象を証明しており、またアンブロージョ・ロレンツェッティ、ジョヴァンニ・ディ・パオロ、サノ・ディ・ペトリらの作品は景観や芸術作品上の景観に対する美的影響を証明している。オルチア渓谷の景観の美はルネサンス期から現代まで芸術を刺激しつづけているという点で本物である。地元の市民・政治家・農民・事業家たちはオルチア渓谷に対して強いアイデンティティを感じ、誇りを持っている。

資産に対する脅威としては観光圧力や農業の近代化・土壌の侵食・住居の高級化などが挙げられる。現在、オルチア渓谷は顕著な普遍的価値の表現に関して高いレベルの真実性と信頼性を保持している。

■関連サイト

■関連記事