イギリス湖水地方

The English Lake District

  • イギリス
  • 登録年:2017年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(v)(vi)
  • 資産面積:229,205.19ha
世界遺産「イギリス湖水地方」、スカーフェル・パイク
世界遺産「イギリス湖水地方」、イングランド最高峰を誇るスカーフェル・パイク(978m)。谷は農場になっているのがわかる
世界遺産「イギリス湖水地方」、バターミア
世界遺産「イギリス湖水地方」、バターミアの絶景
世界遺産「イギリス湖水地方」、アルズウオーターのパノラマ
世界遺産「イギリス湖水地方」、アルズウオーターのパノラマ

■世界遺産概要

氷河地形や草原が広がるイングランド北西部の風光明媚な土地で、古くから農業や牧畜が営まれていた。18~19世紀、自然回帰を掲げるピクチャレスク運動の舞台となり、景観にヴィラや庭園といった新たな要素が加わってイングランドの典型的な牧歌風景が誕生した。資産には湖水地方を代表する13の渓谷群、ラングデール、ウィンダミア、コニストン、ダッドン、エスクデール、ワズデール、エナーデール、バターミア、ボローデール=バセンスウェイト、サールミア、アルズウオーター、ホーズウオーター、グラスミア=ライダル=アンブルサイドが含まれている。

○資産の歴史と内容

湖水地方のダイナミックな景観を生み出したのは258万年前にはじまる新生代第四紀、特に26,000〜10,000年前の更新世末期における氷期と間氷期の繰り返しだ。氷期に氷河が成長する過程で山を削り、半円状に山をえぐるカール(圏谷)や氷河の通り道にできるU字谷、取り残された険しい峰・ホルン、のこぎり状の山稜・アレート、氷河が石や土を削って堆積させたモレーン、えぐられた窪地・コリー、窪地にできた氷河湖といった特異な地形を生み出した。最終氷期(7万~1万年前)が終わると氷が溶けて森や草原が渓谷を覆い、窪地には多数の美しい氷河湖が誕生した。

後期石器時代の紀元前11000年ほどから人類の痕跡が残されており、新石器時代の紀元前4000〜前2500年には牧畜がはじまり、紀元前2500〜前1000年の青銅器時代には農業と定住が開始された。ローマ時代の居住地も確認されているが、一帯を大きく切り拓いたのは10~11世紀のノルマン人だ。決定的だったのは1092年の植民で、スカンジナビア半島から移住してきたノルマン人が一帯を支配し、土地を分割した。彼らは「リング・ガース」と呼ばれる石垣で谷を囲い、教会や修道院を中心に町を作り、山地でヒツジの放牧を行って羊毛業を営んだ。後には石垣で区画した「インバイ」と呼ばれる畑で干し草や穀物を栽培し、やはり石垣で囲った「インテーク」と呼ばれる草原でヒツジやウシ、ブタの放牧を行った。周囲には住宅の他に牛舎や豚舎、干し草や穀物の貯蔵庫、脱穀小屋などが建てられ、森林や牧草地・湖沼とともに美しい農業景観を生み出した。また、山地では銀や銅、石炭やスレート(粘板岩)といった鉱物の採掘が行われ、羊毛とともに主要な輸出品となった。

16世紀に山岳地帯の居住権が確立され、スコットランド国境での兵役などの義務が課されたものの、独立自営農民ヨーマンとして独立して農業を営んだ。

18世紀に産業革命がはじまると燃料として木炭を使用するためイギリスの多くの森が伐採され、鉱物資源を採掘するために山は削られ崩された。18世紀後半、自然が失われていく中で、自然の美しさに回帰し、絵画的な美を追究しようというピクチャレスク運動が起こる。ピクチャレスクはイタリア語のピットレスコを語源とする言葉で、17世紀にイタリアではじまったものだ。大々的な森林伐採や鉱山開発が行われていなかった湖水地方の美しさが再発見されると急速に注目を集め、イングランドの原風景として称賛された。多くの芸術家や資産家がこの地に移り住み、ロマン主義の作家トマス・グレイや詩人ウィリアム・ワーズワース、画家ウィリアム・ターナーらの作品に描かれた。こうした富裕層はさらに美しい景観を求め、周囲の環境に調和するようにヴィラ(別荘)や庭園・公園を設計した。

こうして氷河地形をベースとする山岳・森林・草原・湖沼に、古代~近世の農村や畑・牧草地・インバイやインテークが加わり、さらに近代のヴィラや庭園・公園が重なって湖水地方の文化的景観が誕生した。同時に、早くから自然保護活動が発達し、自然環境や歴史的建造物を守るために住民や自治体が土地を買い上げて保護するというナショナル・トラスト運動に発達した。

湖水地方を代表する渓谷には、U字谷のダイナミックな景観と農業景観が調和したラングデール、イングランド最大の湖であるウィンダミア湖とヴィラ・庭園の数々で知られるウィンダミア、中世の古い農業景観と採掘場跡が伝わるコニストン、小さな集落群と新石器時代の遺跡が残るダッドン、中世以来の農牧業地帯で多くの集落跡と牧草地を特徴とするエスクデール、湖水地方随一の湖沼風景を誇るワズデール、インバイやインテークが数多く伝わるボローデール=バセンスウェイト、美しい湖とローマ遺跡や中世の教会が残るアルズウオーター、中世の農業景観の変遷がよく表れているホーズウオーターなどがある。

■構成資産

○イギリス湖水地方

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

イギリス湖水地方の調和の取れた美しさは農牧地の土地運用システムと氷河起源の山・谷・湖といった壮大な自然景観との相互作用によって誕生した。18世紀にはイタリアと北ヨーロッパの絵画スタイルの影響を受けたピクチャレスク運動に触発されてこの地方のすぐれた景観が再発見され、称賛された。こうした価値観はヴィラの形で表現され、その美観をさらに高めるデザインを設計した。イギリス湖水地方のこうしたロマンティックな活動によって景観・地域社会・場所はその重要性を増し、より深くバランスの取れた景観を形成した。そしてまた、感情的な衝動に基づいて人間と景観の新しい関係を含む多彩な力強いアイデアと価値、人間精神を刺激・回復するための景観の価値、伝統的な財産概念を超える風景的・文化的景観の普遍的な価値の開発を促した。

イギリス湖水地方ではこうした価値観が、風景的・文化的クオリティを保護するための実践的な保全イニシアチブと、景観を楽しみ体験するレクリエーション活動の発展を招き、現在も継続している。19世紀のもっとも影響力のあるアメリカの景観設計家フレデリック・ロー・オルムステッドをはじめ多くの建築家やデザイナーが直接的・間接的に影響を受けており、こうした価値やイニシアチブ、地域保護の概念は広く普及して世界各地に刺激を与えつづけている。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

イギリス湖水地方の土地利用は農牧業の長い歴史に由来する。この比類のない景観は、ウシとヒツジの飼育に基づく北ヨーロッパの高地農牧システムが1,000年以上にわたって雄大な山岳環境に適応して形成したものであり、社会的・経済的・環境的圧力に直面しつつ現在に引き継がれている。18世紀後半から19世紀にかけて湖水地方の一部で新しい土地利用が発達し、ヴィラや庭園などの要素を計画的に配置してさらなる美観を獲得した。

湖水地方の保全・管理は18~19世紀初期の保全イニシアチブから直接発展した。このイニシアチブの主要目的は伝統のままありつづけ、文化的景観の風光明媚で調和の取れた美しさを維持することであり、また伝統的な農牧業を支援・維持し、人々に地域の比類ない景観を楽しむためにアクセスと機会を提供し、自然環境の強化と回復を図るためである。こうして伝えられた土地利用の特徴は、調和の取れた美観や高い品質・完全性・実用性ならびに人間と環境の相互作用の表現を伴う特有で際立った文化的景観を形作っている。イギリス湖水地方と現在の土地利用・土地管理システムは景観の価値に対する実践的応用を例示しており、世界的な景観保護活動を直接刺激している。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

ピクチャレスク運動を通して育まれた調和の取れた景観の美しさに対する認識、ロマンティックな関係性から生まれ感情的な反応によって構築された人間と景観の新しい関係、景観に価値があり誰もがそれを鑑賞し楽しむ権利があるという考え、そして景観を守り管理するという必要性――普遍性を持つこうした重要な価値観はイギリス湖水地方に直接かつ明確に関連付けられている。これらはまたナショナル・トラスト運動(自然環境等を守るために住民や自治体が土地を買い上げ保護する運動)の発展をもたらし、同様の権利システムを持つ多くの国に広がった。人間と景観の相互作用から生まれたこうした価値観の影響は、今日のイギリス湖水地方で明白に確認することができる。具体的には、自然景観の調和の取れた美しさ、持続可能な農牧業システム(多くの場合、保全イニシアチブに支援されている)、景観を改良したヴィラとピクチャレスク運動、ナショナル・トラストの土地管理、保護活動の成果としての鉄道や現代的な産業開発の不在といった形で物理的に痕跡を残している。

■完全性

イギリス湖水地方の資産は単一だが不連続の山岳地帯にあり、放射状に展開する13の渓谷群はすべて内部に含まれている。資産は十分なサイズを持ち、他に類を見ない世界的な重要性を持ち顕著な普遍的価値を構成するすべての特徴を内包している。

資産の範囲は1951年に指定された湖水地方国立公園のものと一致し、地形と自治体の境界に基づいて設定されている。土地の多くはナショナル・トラストや国立公園局、湖水地方国立公園パートナーシップなどに所有・管理されており、顕著な普遍的価値は一般的に良好な状態にある。資産に影響を与えるリスクとしては、長期的な気候変動、伝統的な農牧業システムに対する経済的圧力、補助金スキームの変更、観光の開発圧力などがある。

■真正性

有機的に進化する文化的景観として、イギリス湖水地方は個々の特徴だけでなく、13の渓谷の分布パターンとその組み合わせによって顕著な普遍的価値を伝え、土地利用の包括的なパターンとシステムを生み出している。主要な特徴は農牧業と地場産業の独創的・持続的なシステムによって形作られたユニークな自然景観に関連しており、後に築かれたピクチャレスク運動の影響を受けたヴィラ・庭園・景観が折り重なっている。そしてこれらは調和の取れた美しい景観を生み出し、芸術的創造性と国際的影響力のあるアイデアを刺激し、観光産業とアウトドア活動に継続的な影響を与え、湖水地方を守るための保護活動を発展させた。

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