アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ

Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia

  • イタリア
  • 登録年:1998年、2017年軽微な変更、2018年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)(vi)
  • 資産面積:155.43ha
  • バッファー・ゾーン:245.09ha
世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」、アクイレイア大聖堂、鐘楼、洗礼堂
世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」、左は鐘楼、中央はアクイレイア大聖堂の西ファサード、右は洗礼堂
世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」、アクイレイア大聖堂内観
世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」、アクイレイア大聖堂、下がモザイク画の床、奥のアプスにはフレスコ画が確認できる
世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」、見事なフレスコ画で彩られたクリプト
世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」、見事なフレスコ画で彩られたクリプト (C) Velvet
世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」、フォロ・ロマーノの列柱。背後の塔はアクイレイア大聖堂の鐘楼
世界遺産「アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ」、フォロ・ロマーノの列柱。背後の塔はアクイレイア大聖堂の鐘楼 (C) sailko

■世界遺産概要

イタリア北東部フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のアクイレイアに位置する世界遺産で、古代ローマの植民都市アクイレイアの古代遺跡と中世ロマネスク&ゴシック様式の傑作であるアクイレイア大聖堂(総主教聖堂)で構成される。なお、本遺産は2017年にローマ時代のセポルクレトのネクロポリス(死者の町。墓地)を追加し、2018年にバッファー・ゾーンの設定に伴う軽微な範囲変更が承認されている。

○資産の歴史

アクイレイアは紀元前181年にアドリア海の北端でポー平原の東端にあたるナティッサ川流域に築かれたローマ植民都市。重要な軍事拠点であると同時に、中央・南ヨーロッパと黒海や西アジアを結ぶ交易拠点となり、ワイン、オリーブオイル、毛皮、ガラス、鉄、奴隷などの売買で繁栄した。紀元前89年にはローマ市民権を得て自治都市ムニキピウムとなった。皇帝コンスタンティヌス1世による313年のミラノ勅令でキリスト教が公認されると、皇帝の支援を受けたアクイレイアの司教テオドロは総主教(総司教)を名乗り、総主教聖堂のバシリカ(もともとローマ時代の長方形の集会所を示すが、ローマ時代末期にキリスト教の教会堂として使用されるようになり、長方形の教会堂の意味を持つようになった)を建設してキリスト教宣教の拠点とした。3~4世紀のテトラルキア(ローマ帝国の4分割統治で、東方・西方の正帝・副帝の4人で統治した)の時代には西方正帝マクシミアヌスの下で帝国の首都のひとつとなり、最盛期には20万の人口を数え、ヨーロッパ屈指の都市となった。

しかし、5世紀に入ると民族大移動の影響で西ゴート人やフン人の侵入に悩まされ、452年にフン帝国のアッティラによる侵略を受けて略奪・破壊された。その後、都市は再建され、553年にはアクイレイア大司教区は総大司教区に昇格した。しかし、ランゴバルド人やビザンツ帝国(東ローマ帝国)の圧力を受け、交易都市としての役割も西90kmほどに誕生したヴェネツィア(世界遺産)に譲ると次第に衰退していった。中世、ローマ時代の都市遺跡は採石場となり、建築資材として持ち去られてほとんどの建物は姿を消した。

町が輝きを取り戻すのは9世紀にアクイレイア総大司教のパウリヌス2世やマクセンティウスがフランク王国カール大帝の支援を受けるようになってからだ。アクイレイア総大司教はキリスト教勢力の中で地位を上げ、アクイレイアを直轄地(総大司教領)として持つ封建領主として君臨した。マクセンティウスは聖堂跡地に大聖堂の建設を開始し、跡を継いだポッポーネの時代、1031年にアクイレイア大聖堂が完成した。

しかし、この地域の統治権を巡る争いは絶えず、マジャール人の侵入などもあってアクイレイアがこれ以上に繁栄することはなかった。1238年に総大司教座がウーディネに移動。1420年にはヴェネツィアがウーディネを併合してアクイレイアもその支配下に入った。総大司教座は1751年に廃止されている。

○資産の内容

世界遺産の資産としては、アクイレイア北東部の一部が地域で登録されている。資産となっているのはアクイレイアの都市遺跡と大聖堂だ。

ローマ都市アクイレイアは他の植民都市と同様、城壁内の東西に伸びるデクマヌス・マクシムスと南北に伸びるカルド・マクシムスというメインストリートをベースに方格設計(碁盤の目状の整然とした都市設計)の都市プランを採用し、中心に全長約115m・幅57mのフォルム(公共広場)=フォロ・ロマーノが配された。フォロ・ロマーノには約77.0×29.5mの巨大なバシリカやクリア(議場)、マケルム(市場)、造幣局が立ち、城壁近くにはテアトルム(ローマ劇場)やテルマエ(浴場)、キルクス(多目的競技場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)などが配された。また、東のナティッサ川沿いには港が築かれ、船でアドリア海に出ることができた。フォロ・ロマーノの柱の一部を除いて建造物として立っているものはほとんどないが、その跡やモザイク(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて絵や模様を描く技法)、墓などが残されており、国立考古学博物館には石碑や彫像、モザイク、貨幣などの遺物が展示されている。

アクイレイア大聖堂は正式名称をバシリカ・ディ・サンタ・マリア・アッスンタといい、正式な大聖堂(司教座聖堂)ではない。現在見られる大聖堂は1031年に奉献されたもので、「†」形のラテン十字形の平面プランを持ち、正面から見ると「凸」形の三廊式(中央の身廊をふたつの側廊が挟む様式)で、平面65.6×30.0m・高さ23.0mを誇る。身廊にコリント式の柱が並ぶシンプルなロマネスク様式だが、1348年の地震を受けて総大司教マルカドによって改修されており、バラ窓や尖塔アーチなどゴシック様式の意匠が取り入れられている。木製天井は14世紀に増築されたもので、ヴェネツィアの木工職人が船舶の技術を応用したものといわれる。特筆すべきは身廊の床で、エデンの動物たちや預言者ヨナなどを描いた37×20mの見事なモザイク画が展開している。4世紀の作品で、11世紀から1909年まで粘土で塗り込められていたため状態はきわめて良好だ。また、東端のアプス(後陣)やクリプト(地下聖堂)はイエスやマリア、アクイレイアの初代主教・聖エルマゴラスらを描いた11~12世紀の見事なフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)で覆われている。

アクイレイアのランドマークとなっている鐘楼は大聖堂と同じ1031年の竣工で、高さ73mの角楼だ。ローマ時代のテアトルム(ローマ劇場)の石を転用して築かれており、やはり美しいモザイク画が残されている。西の洗礼堂は八角形の円堂で、六角形の洗礼盤を備えている。

■構成資産

○アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

アクイレイアはローマ帝国初期において最大かつもっとも裕福な都市のひとつで、ローマ文明の重要な証拠を提示している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

古代アクイレイアの遺跡の大半は無傷であり発掘されずに残っているという事実から、地中海世界の初期のローマ都市の中でもっとも完全な例であるといえる。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

総主教聖堂を中心とする建造物群は中世初期の中央ヨーロッパにおけるキリスト教布教に決定的な役割を果たした。

■完全性

資産は総主教聖堂を中心にローマ都市遺跡の全域をカバーしており、顕著な普遍的価値を証明するすべての要素が含まれている。考古学的遺産の多くは小さな町と広大な農場の地下に眠っていることもあり、無傷のまま保たれている。おそらく地中海世界で最大の未発掘ローマ都市遺跡であり、研究に関して膨大な可能性を秘めている。

資産に対する脅威としては洪水や地下水位の変動による水害、資産を通過する高速道路の影響が懸念される。

■真正性

考古学的作業は19世紀後半にアクイレイアではじまり、それ以来、考古学や美術史の研究に関連した保全と最小限の再建作業を続けている。ただ、第2次世界大戦の前後数十年間に実施された修復作業の一部、たとえば柱の欠落部分を埋めるためにレンガを使用してコロネード(水平の梁で連結された列柱廊)を再建したり、舗装のためにスラブ(石板)を輸入したりといった作業は適切なものとはいえない。現在では介入を最小限に抑えたより厳格な方針が運用されている。

その結果、資産の真正性は高いレベルで維持されている。たとえばアクイレイアの都市遺跡の大部分は小さな町と農場の下に埋もれたまま発掘されずに残っており、ローマ都市のレイアウトや形状はそのまま保持されている。何百年も前に貿易センターとしてのアクイレイアの役割はヴェネツィアに取って代わられており、以来この地域は小さな町としてありつづけている。

総主教聖堂はその宗教的機能を保持している。ラテン十字式の平面プランを持つ現在の建物は9世紀のもので、基礎はローマ時代にさかのぼる。もともとのロマネスク様式の多くは残っているが、14世紀半ばの地震後に施されたゴシック様式による修復の影響を多少受けている。総主教聖堂で行われた修復のほとんどはヴェネツィア憲章(建設当時の形状・デザイン・工法・素材の尊重等、建造物や遺跡の保存・修復の方針を示した憲章)に準拠してり、内部のモザイク画の床の修復や洗礼堂の修復はもっとも厳格な基準に従って実施された。

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